2021-02-20
ジャパニーズ【0070夜】ペリーの黒船と日本初のウイスキー~その⑤
当時、香港や上海には外国の商社が多く進出していた。中でも世界最古にして最大といわれたのが、1832年に広州で誕生したジャーディン・マセソン商会である。ともにイギリスの東インド会社の船医、航海士として乗船していたスコットランド人のウィリアム・ジャーディンとジェームズ・マセソンの2人が設立した会社である。後に同社の代理人として長崎にやってきたのが、やはりスコットランド人のトーマス・グラバーである(1859年)。
そのジャーディン・マセソン商会が、故郷の酒としてスコッチを扱っていたことは想像に難くない。当時はボトルがまだ一般的ではないので、樽でそのまま運ばれていたものと想像できるが、そうであれば、その頃ハイランドを代表するウイスキーとして、エジンバラを中心に一世を風靡していたアッシャーズのグレンリベットの可能性が一番高いかもしれない。
今日のブレンデッドの走りとなったアッシャーズの「オールド・ヴァッテッド・グレンリベット・ウイスキー」が発売されたのが1853年だから、ペリーの船には間に合ってなかったかもしれないが、1854年のポーハタン号の船上パーティーでは、ボトルらしきものも描かれているので、あるいは、そのアッシャーズのできたばかりのボトルも香港・上海に届いていたかもしれない。いずれにしろ、日本人が最初に飲んだウイスキーは、限りなくシングルモルトと考えられるのだ。
ではアメリカンはどうか。これも今日でいうバーボンではありえない。バーボンがケンタッキーやテネシーで産業化するのは南北戦争後(1861~65年)のことで、ノーフォークがヴァージニア州にあることを考えれば、当時東海岸で造られていたライウイスキーの可能性が一番高い。あるいは「独立のウイスキー」と称されたミクターズのライウイスキーかもしれない。なぜならペリーは独立戦争を戦った軍人一家の出身。軍人にとって必須の酒と考えられていたのが、ミクターズのライウイスキーだったからだ。
(上)日本で初めて飲まれた(?)スコッチウイスキー「アッシャーズ」。(下)日本で初めて飲まれた(?)アメリカンウイスキー「ミクターズ・ライ」。 一覧ページに戻る