2021-02-19
0069 ペリーの黒船と日本初のウイスキー‐その④
TWSC実行委員長・土屋守が気ままに語る1000のウイスキーストーリー。週1回なら約20年、週2回なら約10年、毎日続けば約3年、1000話語り尽くした暁には一冊の本になるとかならないとか――。
ここまでペリーの黒船来航と日本の開国、そして日本人が初めて口にしたジョン・バーリコーンについて語ってきたが、ではいったい、そのスコッチウイスキー、そしてアメリカンウイスキーとは何だったのだろうか。実はこの話は今から18年前の2003年、ある民放のドキュメント番組の企画で、私のところに持ち込まれた話だった。ペリー来航から150年となる節目の番組で、ぜひこのウイスキーの銘柄について知りたいということだった。
それまでペリーのことはほとんど知らなかったが、番組ディレクターから見せられた資料の中に、確かにアメリカンウイスキーとスコッチウイスキーを、サスケハナやポーハタン号の船上で、供している。特に1854年3月の日米和親条約締結直後の船上パーティーでは、あらゆる酒とフルコースの料理が出されたと、公式記録に記されている。そのためにペリーの船にはイタリア人シェフが同乗していたが、料理のメニューは分かっても、ウイスキーの銘柄についてはアメリカンとスコッチとしか書いていない。当時は今と違って銘柄意識なんてなかったから当然かもしれないが、それでは番組的には面白くない。なんとか銘柄が特定、あるいは推定ができないかという相談だった。
その時、ピンときたことが1つある。それはスコッチに関してだが、ペリーがアメリカ東海岸を出港したのが1852年ということは、「まだスコッチにブレンデッドが誕生していない」ということだった。つまりペリーの船に積み込むことができたのは、ブレンデッドではなくモルトウイスキー、それも今日でいうシングルモルトだったという事実である。
ノーフォーク軍港を出る時に積んだかどうか、それは分からない。可能性としては途中のケープタウンか、いや中国(当時は清国だ)の香港・上海あたりで積んだ可能性のほうがはるかに高い。ではそれはいったい…(0070につづく)