2022-09-06
スコッチ【0283夜】チャールズ・エドワード・スチュワート ~王として生まれた君よ②
事の重大さを知った政府軍は急遽スコットランドに駆けつけたが、王子は政府軍を至る所で撃破し、その勢いは止まることを知らなかった。勢いに乗じて王子が下した決断は、そのままロンドンを目指して南下することだった。エジンバラを出立した反乱軍は西のカンブリア地方で国境を越え、ペンリス、ケンダル、ランカスター、マンチェスターを南下し、そして12月にはロンドン北方200キロのダービーの街に進軍した。
時のイギリス国王は1727年に即位したジョージ2世である。父王と同じドイツ生まれで、スコットランドでは圧倒的に不人気であった。生涯英語を喋れなかった父王(ジョージ1世)ほどではないが、もっぱらの関心はアメリカ大陸の植民地支配で、スコットランドにはまったく関心を示さず、その治世の間に一度もスコットランドを訪れることはなかったという。
チャールズの南下を知ったジョージ2世は驚きおののき、バッキングガム宮殿からドイツに逃げ帰るべく、すっかり準備を整えていた。もはやチャールズのロンドン入城も時間の問題と見られていたその時に、ダービーで開かれたのが先の軍事会議であった。
当然、王子の主張は勢いに乗ってロンドンに進軍すべきということだったが、反乱軍の参謀としてハイランドから従軍した将軍たちは、こぞって反対した。兵站線が伸びきり、兵も馬も疲れているからというのが、その理由であった。実はジョージ2世が逃亡寸前だったことを、この時、誰ひとりとして知らなかったのだ。
将軍たちの判断は常識的には正しいが、戦略的には愚挙と言うしかない。「このままロンドンに進軍すべき」という王子の天才的な閃きを聞き入れ、もしこの時、ロンドンまでの200キロを一気に駆け抜けていたら歴史は変わっていたかもしれない…。これが歴史の「もし」だが、そうなれば、その後のスコットランド史、イギリス史は違うものになっていたはずである。ジョージ2世はドイツに逃げ帰り、スコットランドは独立していたかもしれないのだ。しかし結果は、そうはならなかった。(つづく)
カローデンの戦いの後、残党狩りのためにイギリス政府が築いた軍の兵舎と監獄。 一覧ページに戻る