2022-08-29
スコッチ【0280夜】トーマス・ブレイク・グラバー~スコティッシュ・サムライの生涯①
北海に面したスコットランド第三の都市アバディーンは、もともとドン川の河口にひらけた港町であった。現在はすぐ南に位置するディー川の河口沿いにビルが建ち並び、中心はそちらに移っているが、アバディーンとはゲール語で「ドン川の河口」のことで、ディー川の河口のことではない。アバディーン大学や大聖堂など、街の古い建物はドン川右岸の旧市街に集中している。 その旧市街からドン川に架かる古い石橋(ブリッグ・オ・ドン)を渡ったすぐの所にあるのが、トーマス・グラバーが幼少時を過ごした、グラバーハウスである。
現在の建物はグラバーと縁のある日本の三菱が1997年に再建したもので、『グラバー記念館』として一般に公開されている。オリジナルの建物は1920年代に取り壊されてしまって今は存在しない。トーマス・グラバーといっても、地元アバディーンの人々はほとんど知る者がなく、1990年代に地元の郷土史家アレクサンダー・マッカイ氏が、『スコティッシュサムライ(“Scottish Samurai”)』という伝記を著すまで、関心を示す者はほとんどいなかった。
グラバー記念館も当初は訪れる人が少なかったが、数年前からアバディーン市の予算がつき、訪れる人も徐々に増えてきた。ちょうど私が訪れた時(2012年)には、地元アバディーンの小学生の団体がやって来て、記念館の一室で館長の言葉に熱心に耳を傾けていた。子供たちの目に、日本とスコットランドの架け橋となった「スコティッシュサムライ」はどのように映ったのだろうか。
トーマス・ブレイク・グラバーは1838年6月6日、7人兄弟の4男としてアバディーン州フレイザーバラで生まれている。父のトーマス・ベリーはロンドン生まれのイングランド人、母メアリー・フィンドレ―はフレイザーバラ近郊の地主の娘であった。
父の職業は沿岸警備隊員で、トーマスが11歳の時に、アバディーンに移っている。トーマスはここで弟のアレックスとともに、中・上流階級の子弟に教育を施すギムナジウムに4年間通った。16歳で卒業すると大学には行かず、兄が経営する船会社に書記係として入社した。当時ディー川河口にはドックが建ち並び、造船業と交易、漁業で栄えていた。(つづく)
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