2022-07-15
スコッチ【0279夜】ウィリアム・グラント/ 立志伝中の人物~その②
モートラックに勤めても、ライムストーン採掘の夢は捨てていなかった。地主から採掘の権利を取りつけたこともあったが、一方的な契約解除で、計画が頓挫してしまう。落胆したグラントだったが、すぐに別の夢を追いかけるようになった。ライムストーンではなく、こんどは自分の蒸留所を持ちたいという夢である。その日からグラント家の、以前にも増した「節約生活」がスタートする。モートラックからもらうサラリーは年間100ポンド弱。それは決して十分な額とは言えず、しかも20年間一度も上がることがなかったという。さらにグラント家には7人の息子と2人に娘がいた。大家族を養いながらの貯蓄生活……。それにもかかわらず、生来の明るさと決断力、家族の協力によって、一歩一歩、夢の実現へと近づいていった。
9人いた子供たちはみな優秀で、奨学金を得て大学に進み、それぞれの道で父の夢を助けた。長男のジョンは大学を出ると小学校の校長の職を得、サラリーの大部分を父に仕送りした。三男のジェームズも大学のラテン語コンテストで優勝した時には、賞金28ポンドを、そっくりそのまま父に渡している。
チャンスがやってきたのは1886年の夏。同じスペイサイドのカードゥ蒸留所が設備一新のため、古い器具をそっくりそのまま売りにだしたのである。当時のオーナーであるエリザベス・カミング婦人の厚意で、破格に安い120ポンドという値段で、ポットスチル2基をはじめとする、すべての蒸留機器を買い入れることに成功した。20年間勤めたモートラックに、ウィリアムが辞表を出したのがその年の9月3日。きっちり20年目という節目の日を選んだのは、几帳面なウィリアムらしいやり方である。
その後のグラント家の成功は、今さら述べるまでもないだろう。シングルモルトのグレンフィディックは世界1位、2位(2021年はザ・グレンリベットが僅差で1位、フィディックは2位となっている)の売上げを誇り、ブレンデッドのグランツも、ジョニーウォーカー、J&B、バランタインに次ぐ、スコッチ第4位の売上げを達成している。貧しい仕立屋の息子として生まれ、家族総出で蒸留所をいちからつくり上げる。ウィリアム・グラントがスコッチの長い歴史の中でも、立志伝中の人物として知られるのは、そんな家族の絆もあったからなのだ。
ウィリアムは1923年1月5日、愛すべき家族に看取られて、83歳の生涯に幕を閉じている。
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