2022-07-11
スコッチ【0277夜】スコッチウイスキーの恩人!? サー・ウィンストン・チャーチル~その②
インド時代からすでにそうであったが、チャーチルは軍人として職務の傍ら、新聞社と契約して従軍記を書き送り、それで原稿料を稼いでいた。軍人、政治家としての才能ばかりか、チャーチルは文才にも恵まれ、自伝や従軍記、伝記、小説など多数を著している。これは晩年の話だが、第二次大戦を綴った回顧録は高く評価され、1953年にはノーベル文学賞も受賞しているほどなのだ。
ボーア戦争で捕虜となったが、そこから単身脱走することに成功したチャーチルは本国で英雄視され、それがきっかけで1900年、初めて下院議員に当選。チャーチル25歳の時である。その後の活躍については多くの伝記や膨大な評伝などに詳しく書かれているので、ここではチャーチルとウイスキーのかかわりについてだけ述べることにする。
チャーチルがウイスキー好きであったことは前回述べたが、これは多分に国策的な面も含んでいる。第二次大戦の時、当初は原料穀物や燃料の不足から生産自粛の措置をとっていたが、中盤から末期には外貨獲得のために逆に輸出を奨励している。国内需要を満たすため輸出禁止策をとったアイルランドとは対照的である。その違いは大戦後にスコッチの躍進、アイリッシュの衰退という結果を招くことになった。
「父の時代はブランデーが主流で、スコッチはロンドンの社交界で飲まれることはなかった」という、チャーチルの回想も象徴的である。スコッチを自ら飲むことで、時代の変化を内外に印象づけ、国内産業の育成を図る。大英帝国の守護神としてのチャーチルの獅子奮迅の活躍がなければ、ナチス・ドイツに勝利することもなく、スコッチも「世界の酒」と呼ばれることはなかったかもしれない。そんなチャーチルとウイスキーを象徴する一枚の古い写真が残されている。
1945年7月、ポツダムで開かれた和平会議で撮られたもので、ベンチに腰かけているのはスターリン、チャーチル、そして米大統領のトルーマンの3人である。このポツダム会議の席上、晩餐会のメニューに添えられたのが、チャーチルが持ちこんだキングスランサム、「王様の身代金」というブレンデッドスコッチであった。戦後処理を話し合う場に「王様の身代金」……これ以上皮肉のきいた演出はないだろう。立憲君主制と大英帝国存続のために戦ったイギリスは、戦後その勝利と引き換えに、ソビエト、アメリカという両大国の間にはさまれ、老チャーチルと同じように、歴史の表舞台からの退却を余儀なくされたからである。
まさしく、王様の身代金だったと言えなくもない……。
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