2022-07-10
スコッチ【0276夜】スコッチウイスキーの恩人!? サー・ウィンストン・チャーチル~その①
ちょっと古い話になるが2002年にイギリスのBBCが行った、「もっとも偉大なイギリス人は誰か」という視聴者アンケートで、1位に選ばれたのが、第二次世界大戦中に首相を務め、イギリスを勝利に導いたウィンストン・チャーチルであった。
チャーチルは1874年11月30日、オックスフォード近郊のブレナム宮殿で、父ランドルフ・チャーチル、母ジャネット・ジェロームの長男として生まれている。ブレナム宮殿は祖父の第7代モールバラ公爵が所有する大邸宅で、個人のものとしてはイギリス最大と言われた屋敷である。父ランドルフは公爵の三男で、母ジャネットはアメリカの投資家の娘、「社交界の華」と言われた美貌の持ち主であった。
ウィンストンが政治家を志したのは、父親の影響だったという。父ランドルフは24歳という若さで下院議員に当選し、30代後半でソールズベリー内閣の大蔵大臣を務めている。ウィンストンの少年時代は、父が華々しく活躍した時代で、父の手助けをしたいというのが、政治家を志したきっかけであった。しかし、その夢は父の急死によって(享年45)、叶わないものとなってしまった。遺されたウィンストンの夢は父の遺志を継いで、政治家として成功することだったという。
貴族の子弟が皆そうであるようにウィンストン少年も乳母によって育てられ、7歳からは寄宿学校に入れられた。12歳の時にパブリックスクールの名門ハロー校に進み、そこから軍人になるべく王立士官学校に進学している。ハロー校での成績はお世辞にも優秀とは言い難く、王立士官学校の入試に二度まで失敗する始末であった。それでも卒業時には130人中20番目の成績であったというから、軍人の生活の方が性に合っていたのかもしれない。
卒業後、第四軽騎連隊に配属され、当時植民地だったインド、さらに南アフリカのボーア戦争などに従軍している。チャーチルがウイスキーを嗜むようになったのは、このインド時代からで、南アに赴任する時には年代物の高級ワインの他、高級スコッチ18本、ブランデー6本などが荷物に加えられたという。(つづく)
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