2022-07-08
スコッチ【0274夜】アルフレッド・バーナード/ウイスキー界のバイブルとは~その②
では著者のアルフレッド・バーナードという人は、どういう人物だったのか。なぜ彼はイギリス、アイルランドのすべての蒸留所を回る旅に出たのか。じつはバーナードの生涯については、残念ながらほとんど分かっていないのが現状だ。
アルフレッド・バーナードはロンドン郊外のサックステッドで1837年5月に生まれたとされている。父は同地で食糧雑貨と服地を扱う店を経営し、アルフレッドも後に、ロンドンのケンジントン地区で同様の商売を始めたとされている。1859年に同じサックステッド出身のファニー・ラッフル嬢と結婚し、2人の間には61年から69年にかけて3人の子供が生まれた。出生証明書の登録地はそれぞれロンドンのイズリントン、キャベンディッシュ、ダルウィッチ地区となっていて、アルフレッドの職業もその都度、石鹸輸出業、商人、ジェントルマンと変わっている。
アルフレッドの生まれた1837年はヴィクトリア女王が即位した年で、彼はまさに大英帝国の繁栄と歩調を合わせるかのように、ロンドンで商売を拡張していったのだろう。いわゆる紳士階級の生まれでないにも関わらず、自らの職業欄に「ジェントルマン」と書いているのは、功なり名を遂げたヴィクトリア時代の商人としての自負が、そうさせたのかもしれない。
そのアルフレッドが、ロンドンで発行されていた「ハーパーズ・ウィークリー・ガゼット」(Harper’s Weekly Gazette)誌の依頼を受け、イギリス中の蒸留所の取材に出かけたのが1885年からで、翌86年はまる一年を費やして精力的に蒸留所を回り、そのレポートを毎週同誌に寄稿した。「ハーパーズ」はワインやスピリッツを扱う業者のための専門誌で、現在も「ハーパーズ・ワイン・アンド・スピリット」と名前を変えて、ロンドンで刊行され続けている。(つづく)
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