2022-07-06
スコッチ【0272夜】サー・ウォルター・スコット/スコットランド文芸復興の立役者~その③
スコットはその後、詩人から小説家に転向するが、投資していた出版社と印刷屋の倒産で多額の借金をかかえ、晩年は超人的なスピードで次々と大作を発表していった。『ウェイヴァリー』や『アイヴァンホー』『ロブロイ』など、次々と世界的なベストセラーを発表し、文豪としてのスコットの名声は、世界中にますます知られるようになった。明治維新後の日本にもスコットの愛好者は多く、1900年から2年間ロンドンに留学した夏目漱石も、スコットの大ファンであったという。
さらにウイスキーの業界にも愛読者が多く、スコットの作中人物や作品名がブランド名になっているものも多くある。〈アンティクァリー〉や〈ロブロイ〉、〈ベイリー・ニコル・ジャービー〉〈ロデリックデュー〉などがそうで、さらにグレンモーレンジィの元オーナー、マクドナルド・ミュア―社のミュアー家も熱烈なファンであった。同社のロゴマークには愛犬を従えたウォルター・スコットの像が使われているほどである(現在もグレンモーレンジィの復刻ボトルなどには、このマークが使われている)。
借金返済のためとはいえ、スコットは過労がたたり、徐々に健康を害していった。晩年のスコットは自身がこよなく愛したボーダーズ地方のアボッツフォード邸に暮らしていたが、そのアボッツフォード邸でツイード川の瀬音を聞きながら息を引き取ったのが、1832年9月のことだったという。享年61。スコットの亡骸はスコットの愛したボーダーズ地方の、ドライバラ修道院に葬られたが、スコットの亡骸をのせた埋葬用の馬車は途中ツイード川を見おろす絶景ポイントに立ち寄っている。生前、スコットがよく散歩に訪れていた場所で、現在はスコットを偲び、“スコッツビュー”と呼ばれている。
ちなみにアボッツフォード邸はスコットが自ら建てた館で、邸内には生前のスコットを偲ぶ多くの物が飾られている。スコットは大変な蒐集癖があり、あらゆる物を集めていたが、それらの展示を見るのも、アボッツフォード邸を訪れる楽しみのひとつだ。中にはカローデンの戦いで有名なボニープリンス・チャーリーの金髪の巻毛や銃弾などもあり、興味がつきない。
一覧ページに戻る