2022-06-15
スコッチ【0254夜】スコットランドの庭園で見た、チベットの青いケシ
もう50年近く前の話になるが、一度だけヒマラヤの青いケシを見たことがある。学名メコノプシス・バイレイ。ヒマラヤに通うようになってからずっと、青いケシをこの眼で見たいと願っていた。当時私はチベットに夢中になっていて、1975年から81年にかけて毎年のように西チベット、ラダック・ザンスカール地方を訪れていた。
ラダックはインド・カシミール州の北東にある人口10万人ほどのチベット文化圏。ザンスカールはその南にある秘境中の秘境であった。面積は約11万㎢。ちょうど北海道と四国を合わせたくらいの広さである。ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈のちょうど中間にあり、インダス河の源流が南東から北西に流れていた。「ラダック」とはそもそもチベット語で「峠のある所」を意味し、文字どおり周囲を5,000から6,000メートル級の山々に囲まれていた。交通機関はなく、ザンスカールに入るには標高4,400メートルのペンジラ峠をはじめ、5,000メートル級の峠を、徒歩か馬で越えていかねばならなかった。
私が青いケシを見たのは、そんな旅の途中であった。季節は8月下旬、場所はペンジラ峠のザンスカール側の登り斜面で、氷河で削られた岩石が散乱するモレーン帯の、まさにその岩陰であった。茎の高さは1メートルくらい、まっすぐに伸びたその先に、鮮やかなコバルトブルーの4枚の花弁が揺れていた。それはあまりにも上質な絹のような花びらで、手を触れたら溶けてしまいそうな気がした。
しかし合計5度のザンスカール行の中で、青いケシを見たのはそれ一度きりであった。花期は短く、それ以降8月下旬にペンジラ峠を越えたことがなかったのと、広いラダック・ザンスカールの中でも青いケシが咲く地域がごく限られていたからだ(私の滞在していた標高3,500~4,000メートルの村の周辺にはなかった)。もう一度見たいという私の願いは叶わず、いつしかチベットからも遠のき、そのこと自体を忘れていた。
その青いケシに再会したのは、何とスコットランドの古城の庭園であった。ヒマラヤの青いケシは1920年代にプラント・ハンターによってイギリスに持ち込まれ、それ以降園芸品種として改良が重ねられ、今ではあちこちの庭園に植えられているのだ。
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