2022-05-24
スコッチ【0232夜】DCL帝国を率いたスコッチ業界の大巨人~その①
もしもイーニアス・コフィーが連続式蒸留機を発明できず、アンドリュー・アッシャーがブレンデッドスコッチを生まなかったら、スコッチが「世界の蒸留酒」と言われることはなかったかもしれない。しかし、スコッチが蒸留酒の盟主となりえたのは、ウィリアム・ロスの存在があったからこそだ。ウィリアム・ロスはDCL社の総帥として生涯の大半をスコッチ業界に捧げ、スコッチウイスキーをスコットランドの地酒から世界の“蒸留酒の王様”へと押し上げた。
ロスは1862年、グラスゴー近郊の貧しい小作農の倅として生まれている。貧困ゆえに15歳で学校を辞めグラスゴーの銀行に就職したが、その銀行も翌年に倒産。16歳で運よく、誕生間もない小さな会社の見習いの会計係として雇われた。それが1877年に誕生したディスティラーズ・カンパニー・リミテッド、通称DCL社である。
同社はローランドのグレーンウイスキー業者6社が集まって設立された会社だが、当時はまったくの無名。ロスはそんな会社でコツコツと仕事に打ち込み、22歳で会計主任、35歳で総支配人、そして1900年には弱冠38歳という若さでDCL社の社長に昇りつめている。
その頃スコッチ業界とDCL社を襲ったのが、ブレンド会社最大手のパティソンズ社の倒産であり、社会的な不況であった。多くのブレンド会社、蒸留所が潰れていく中でロスはDCL社の舵取りを任され、企業買収と合併によって、未曽有の危機を乗り切っている。さらに、その直後に襲ったのが、グレーンウイスキーとそれを混和したスコッチのブレンデッドはウイスキーではないとする、有名な“ウイスキー論争”だった(1905年)。
4年がかりでこの法廷闘争に勝利したロスとDCL社は、さらなる過当競争防止のために再び企業買収を加速させ、1927年には当時「ビッグファイブ」といわれたジョン・ウォーカー社、ヘイグ、デュワーズ、ブキャナン社、そしてホワイトホース社のすべての会社を傘下に置くことに成功し、DCL帝国を盤石なものにした。(つづく)
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