2022-05-22
スコッチ【0230夜】コンサートホールに名を刻んだブレンデッドスコッチの生みの親~その①
ブレンデッドスコッチの生みの親であり、エジンバラに巨大なコンサートホールを寄贈したアンドリュー・アッシャーは、1826年エジンバラで、同名の父・アンドリュー・アッシャーの11番目の子として生まれている。
アッシャー家はもともとローランド地方のピーブルスの出身で、父アンドリューがエジンバラに出て酒屋を始めたのが1813年のこと。当初は小さな酒屋兼雑貨商にすぎなかったが、次第にビジネスを大きくし、1830 ~ 40年代には、“スミスのグレンリベット”で知られる、ジョージ・スミスのモルトウイスキーを販売する、エジンバラでのソロエージェントになっている。
ただし、この頃のアッシャー家のビジネスはウイスキーではなく、ビール造りが中心。アッシャーには12人の子供がいたが、上の2人の息子と始めたのが、アッシャーズブリューイング会社で、実はこれのほうが当時は成功していたという。その一方で下の息子2人と始めたのが、アッシャー商会で、その息子の一人が、父と同姓同名のアンドリュー・アッシャーだったというわけだ。
弱冠22歳という若さでウイスキービジネスの舵取りを任されたアンドリュー(2世ということになる…)だったが、そのアンドリューが1853年、27歳の時に考案したのが、スコッチの金字塔となった「アッシャーズ・オールド・ヴァッテッド・グレンリベット・ウイスキー」だった。これはジョージ・スミスと、その一族たちが当時経営していたスペイサイドのリベット谷のいくつかの蒸留所の樽を混和したもので、これによって風味が安定したアッシャーのウイスキーは、たちまち評判となり、瞬く間にエジンバラやグラスゴーといった大都市の市場を席巻していた。
この1853年が、ブレンデッドスコッチの誕生した年といわれるのは、まさにアッシャーの「オールド・ヴァッテッド・グレンリベット・ウイスキー」が誕生した年だったからだが、ただし、これは今日でいうブレンデッドウイスキーではない。この時はまだ、グレーンウイスキーの混和は認められていなかった。(つづく)
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