2022-05-09
スコッチ【0217夜】派手なネクタイにゴロワーズ。アイラいちの伊達男
ラガヴーリンの所長で一番印象に残っているのが、マイク・ニコルソン氏である。ディアジオ(その前はUD)の28蒸留所(当時)の中で、ラガヴーリンの所長は最も格の高いポジションの1つだった。他のアイラの蒸留所と違って、所長は4~5年で交代したが、最後はラガヴーリン、そして本土のロイヤルロッホナガーだと言われた。28蒸留所の所長会議は、毎年ロッホナガーで行われるのが慣例となっていた。
ボウモアやブナハーブン、ブルックラディの所長は地元アイラの出身者が多かったが、ディアジオのラガヴーリンと、当時業界第2位だったアライドのラフロイグの所長は、島外出身者が多かった。マイクさんも初対面の印象は、エジンバラやグラスゴーなどの都会育ちと思われた。いつもイタリア製のスーツを着て、ハデなネクタイ、そしてチェーン付きの眼鏡がトレードマークだった。どこかニヒルなところがあり、フランス製のタバコ、ゴロワーズがよく似合っていた。案内してくれても、製造の説明には熱が入らなくて、どこかつまらなそうにしていた。「アイラは退屈でしょうがない。ここには娯楽が何ひとつない。君もアイラに来て退屈だろう」と言うのが口癖だった。「俺の話より君の話をしてくれ。どうしてアイラに来た、東京はどんな所だ…」。
そんなニコルソン所長の別の一面を知ったのは、何度目かにお会いした時だった。ラガヴーリンで撮った写真をA5サイズに引き伸ばして持っていったら大層喜んでくれて、ラガヴーリンの売店に額に入れて飾ってくれたのだ(これは今でも飾られている)。その時に、お礼といって自主制作のCDをくれた。ニコルソン所長は趣味でブルースのギターを弾いていて、彼が結成したバンドではヴォーカルも務めている。話には聞いていたが、本当にCDを出し、毎週のようにボウモアやポートエレンのパブでライブを開いていると、その時、初めて知った。
それからしばらくして、ブルックラディのジムさんの元を訪ねた時、壁に古い職人の集合写真が飾ってあるのに気がついた。ジムさんが写真に写っている人物を説明してくれたが、そのうちの一人がニコルソンさんの父だった。その時までニコルソンさんは本土の人とばかり思っていたが、「何を言ってるんだ、彼のところは代々アイラの職人の家系だ。俺のところもそうだが、アイラでは職人の息子は職人と決まっている。だから、彼なりに島に娯楽をもたらそうと、自らバンドを組んでライブをやっていたんだ」。マイクさんは、その後ロイヤルロッホナガーの所長を務め、そして今は娘さんが暮らすカナダに移り住んでいる。
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