2022-05-08
スコッチ【0216夜】初めてのアイラ、マードォとの出会い~その②
その晩、ピートの燃える暖炉の前で私はしたたかに酔っていた。次から次へとアイラのシングルモルトを飲まされ、マードォのそれまでの波乱万丈の人生を聞かされていたからだ。マードォはスコットランド生まれだが世界を転々とし、やがてニュージーランドでレストランビジネスを始めた。奥さんは、そこで知り合ったニュージーランド人である。マクリーホテルを買ったのは、いつかアイラ島に住みたかったからだという。
翌日マードォに連れられてボウモア蒸留所とラガヴーリンに行った。私にとっては、それが初めての蒸留所だった。ラガヴーリンの所長は誰だったか覚えていないが、ボウモアを案内してくれたのはアイラ・キャンベルさんという初老の人物だった。当時はビジターセンターもツアーもなく、訪れる人も皆無に等しかった。モルトウイスキーの造りについては、私はまったくの素人。しかしボウモアのアイラさんは根気強く、こちらのバカな質問にも笑顔を絶やさず答えてくれた。今から思えば私の最初の蒸留所がアイラ島で、しかもそれがボウモアだったことは、幸運以外の何物でもない気がする。それを可能にしてくれたマードォには、感謝してもしきれない。
マードォとはその後も連絡を取り合い、マクリーホテルも毎年のように訪れた。彼の要請で、当時ロンドンのサントリーレストランで働いていた日本人の板前を連れて行ったこともある。厨房のシェフに日本料理を教えてほしいと言われたからだ。彼は私のロンドン時代の釣友でもあり、二つ返事で引き受けてくれた。そのためわざわざ包丁や調味料をアイラまで持参し、半日、日本料理の基本をシェフに教えていた。あれから30有余年。愛すべきマードォは、もういない。ホテルの経営が行き詰まり、その後、行方知れずになってしまったからだ。
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