2022-05-03
スコッチ【0211夜】人生に一度も退屈したことがない…。アイラ最長寿だった女性の大往生~その②
アイラ島で、私が最もお世話になったのが、ボウモア蒸留所でビジターセンター長を務めていたクリスティーン・ローガンさんだった。私だけでなく、日本人でアイラを訪れる人の大半が彼女の世話になっていただろう。 “アイラフリーク”で、彼女を知らない人がいたら、それはモグリかもしれない。
私がクリスティーンさんに初めて会ったのは、1990年代初めのこと。以来30年近い付き合いになる。その彼女に紹介され、連れて行かれたのが、当時90歳近くだった母のリリー・マクドゥーガルさんだった。リリーさんの生まれは1914年。第一次世界大戦勃発の年である。燈台守りのマクドゥーガルさんと結婚して、カリラの近くに住んでいた。夫とはすでに死別していたが、祖父の代に建てられたという「イエローロックハウス」に一人で暮らし、最後まで「一緒に暮らそう」という、クリスティーンさんからの申し出を断り続けていた。
2匹の猫のことや詩作、絵画、バグパイプのことは前話(0210)で紹介したが、リリーさんを有名にしていたのが、キャンベルタウンでの魚の行商だった。付いた仇名が“リリー・ザ・フィッシュ”。魚の行商をやめても毎日車の運転をしていたことも前述したが、晩年になっても、何度もスピード違反で捕まったという。お巡りさんに止められ、「マダム、なぜスピードを出していたんですか?」と訊かれて、「それは急いでいたからに決まっているじゃない」と答えたのは有名な話だ。
しまいにはリリーさんの車を見かけると、アイラの人たちは皆、対向車線で車を止めて、リリーさんが通り過ぎるのをじっと待ったという。それを不思議に思ったリリーさんが、クリスティーンに言ったのが、「最近のアイラ島は故障車ばかり。車の性能は良くなっていると聞いているのに…」。「人生で退屈したことは一度もない」。リリーさんの口癖はそれだったというが、本当に自由に、そして独立独歩で人生を謳歌したリリーさん。島民すべてに愛されたリリーさんの100歳の誕生日が盛大に祝われたのが2014年7月で、リリーさんはその誕生パーティーの3週間後に、帰らぬ人となってしまった。
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