2022-01-25
アイリッシュ【0202夜】アイリッシュ最大の悲劇と、その閉鎖の謎~その②
そのロイヤルアイリッシュに悲劇が訪れたのが20世紀に入ってから。もちろん第一次世界大戦(1914~1918年)とそれに続くアメリカの禁酒法。そしてイースター蜂起(1916)と、それをきっかけとしたアイルランド独立の動きも、ロイヤルアイリッシュの前途に暗い影を落とした。しかし、これはロイヤルアイリッシュに限ったことではない。ここの悲劇はダンヴィル家に相次いで不幸が襲ったことである。
初代のロバート・ダンヴィルが亡くなったのが1910年で、蒸留所はその息子のカーネル・ジョン・ダンヴィルに引き継がれたが、そのジョン・ダンヴィルも急死。事業はジョンの息子であるロバート・ダンヴィル、通称ロバート・ジュニアに引き継がれた。ロバートにはジョンという弟がいて、2人の若きダンヴィルがロイヤルアイリッシュの難局を乗り切ろうとしたが、弟のジョンは第一次世界大戦に出征し、フランスで負傷してしまった。命は助かったが、1917年に、この時の傷がもとでやはり急死している。
残された兄のロバート・ジュニアはそれでも必死に事業継続を図ったが、アイルランド自由国の成立(1922年)と、その時の宗教対立で、ベルファストは騒乱状態に陥ってしまった。ベルファストはカトリックとプロテスタントの争いの場となり、市中で爆弾テロが相次いだという。そのロバート・ジュニアがセールス旅行中の南アフリカで急死したのが1931年のことである。つまりダンヴィル家はわずか20年の間に、3世代が亡くなってしまい、事業を継承する者がいなくなってしまったのだ。
ロイヤルアイリッシュといえば「スリークラウンズ」「VR」などの銘酒で知られ、20世紀初頭にはスコットランドのブラッドノック蒸留所も買収し、スコッチとアイリッシュの2つの蒸留所を所有することになったが、1938年に70年間という蒸留所の歴史に幕をおろしてしまった。かつて従業員数400名を誇った巨大なダンヴィル帝国が、これほど簡単に消滅してしまったのはアイリッシュ最大の悲劇であり、そしてその経緯には未だに多くの謎が残るのだ。
ダウン州のストラングフォード湖の畔にあるエクリンヴィル蒸留所。ガラス越しにスチルが垣間見える。 そのエクリンヴィル蒸留所は、ロイヤルアイリッシュ蒸留所のブランド「ダンヴィルズ」を復刻させている。写真のボトルはTWSC2021でも受賞を果たしている。