2022-01-24
アイリッシュ【0201夜】アイリッシュ最大の悲劇と、その閉鎖の謎~その①
かつてスコッチと覇権を争っていたアイリッシュウイスキーの衰退には多くの理由が考えられるが、もっとも悲劇的で、その閉鎖に謎が残るのが北アイルランドのベルファストにあったロイヤルアイリッシュ蒸留所だ。
ロイヤルアイリッシュの創業は1868年。ちょうどスコッチにブレンデッドウイスキーが誕生し、ジョニーウォーカーが四角のボトルに斜めのラベルを貼り、販売を強化していた頃でもある。ロイヤルアイリッシュ蒸留所を創業したのはベルファストでブレンダー兼酒商として成功していたダンヴィル家。当時アイリッシュの勢いはスコッチのそれを凌ぐものであり、ベルファストは南のダブリンとともに、アイリッシュウイスキーの一大生産拠点だった。
ロイヤルアイリッシュは当時アイルランド最大(ということは世界最大)といわれた蒸留所で、赤レンガ造りの4階建ての巨大な建物と、50メートル近い、高い煙突がひと際目を引いたという。蒸留所には巨大な麦芽床が3面(3階)あり、それぞれ80トンの浸麦槽が付属していた。その麦芽の乾燥用キルンも2棟あり、そこでは24時間麦芽づくりが行われていた。スチルは直火が3基に間接が2基の計5基。それぞれが巨大で、他にコフィースチルもあり、モルトウイスキーとポットスチルウイスキー、そしてグレーンウイスキーの3タイプのウイスキーを造っていた。ウォッシュバックは16基で、それぞれのサイズが3万6000ガロン、約16万リットルというから、いかに巨大だったかが分かる。
年間の生産量もモルトとポットスチルだけで250万ガロン、約1160万リットルで、これは今日のカリラやグレンモーレンジィに匹敵する(当時は100%アルコール換算ではなくプルーフガロン)。それにコフィースチルが加わってグレーンも造っていたのだから、今日のサイズでいったら、年間2~3000万リットルの蒸留所ということになるだろうか。(つづく)
ロイヤルアイリッシュ蒸留所のイラストと写真。上のイラストでは、50m近い煙突がひと際目を引く。 一覧ページに戻る