2021-12-28
ジャパニーズ【0200夜】神戸ゴルフ倶楽部とA・H・グルーム~その②
アーサー・ヘスケス・グルームと、彼が1903年に創始した神戸ゴルフ倶楽部の六甲山ゴルフ場について述べてきたが、その1番ホールのダンピーボトルについては、結局ブランド名は調べ切れなかった。スコットランドのSWA、スコッチウイスキー協会にも知り合いを通じて問い合わせてみたが、いかんせん写真が不鮮明で、それ以上分からないという。デミライオン繋がりで、ホワイトマッカイのリチャード・パターソン氏にも問い合わせてみたが、やはり分からなかった。ラベルの下の方にはそれを瓶詰め、ブレンドした会社名が書かれているのだが、どんなに画像処理しても読めない…。ということで、それはそのままになり、いつしか私も忘れていた。それを思い出したのが、2021年11月に六甲山の山頂にオープンしたアクサスの六甲山蒸溜所に行った時だった。
そもそもグルームさんのゴルフ場が六甲山の山頂にあることも知らなかったし、グルームさんの胸像を見るまで、彼が六甲山開発の立役者、「六甲山の開祖」呼ばれていることも知らなかった。実はアーサー・ヘスケス・グルームはイングランドのブライトン生まれのイングランド人。兄のフランシスがトーマス・グラバーと共同で長崎にグラバー商会を興した人物で、その関係で日本にやってきた。神戸が開港してすぐの1868年のことで、グラバー商会の神戸支社で働いていたが、同社が倒産した後は自身の商社を立ち上げ、神戸を拠点に活躍した。
外国人居留地にあった古いホテルを改造して、神戸オリエンタルホテルを開業したのもグルームで、やがて六甲山頂に別荘を建て、そこで神戸の財界人と夏のレジャーを楽しんだ。その別荘の敷地に築かれたのが、神戸ゴルフ倶楽部のコースである。我が国初のゴルフ場として正式に1903年にオープンしたが、初期のメンバーにはトーマス・グラバーや、神戸オリエンタルホテルを共同で運営したハンター商会のエドワード・ハンターらが名を連ねている。ちなみにハンターは北アイルランド・ベルファストの出身で、のちの日立造船の設立者でもある。つまりスコットランド人のトーマス・グラバーやアイルランド人のハンターらと密接な繋がりを持っていたということだ。
日本最古の六甲山ゴルフ場のクラブハウス。 こちらはコース内の写真。 六甲山から望む神戸市街。前回紹介した井川蒸溜所など、国内に続々と新規蒸留所ができており、中々情報が追い付かないという方は、ぜひJWIC(ジャパニーズウイスキー情報センター)を見ていただきたい。蒸留所データや最新ニュースを随時更新している。 一覧ページに戻る