2021-12-27
ジャパニーズ【0197夜】大倉喜八郎と井川蒸溜所~その①
またまた大河ドラマ『青天を衝け』の話で申し訳ないが、主人公・渋沢栄一の右腕として活躍していたのが、大倉財閥の創始者・大倉喜八郎と三井物産をつくった益田孝だった。大倉は新潟・新発田藩(しばたはん)の出身で、江戸末期に江戸に出てきて鉄砲商いで財を成したといわれる。その後、渋沢らと共同で多くの企業の創設に関わったことで知られるが、益田孝も新潟・佐渡の出身で、父親は佐渡奉行(相川奉行)の下で、地役人をしていた、いわば徳川の家臣である。
新発田藩は違うが、佐渡は幕府の天領で、佐渡奉行は相川金山の金山奉行も兼ねるいわばエリート中のエリートで、今でいえば財務省のキャリア官僚である。益田孝は若い時から、その才を認められ、江戸幕府が派遣した欧州留学組にも選ばれている。のちに三井物産の初代社長となり、明治日本の発展を渋沢、大倉とともに支えた。茶人としても有名で、号を鈍翁(どんおう)と称したが、千利休以来の大茶人といわれた人物でもある。
大倉喜八郎は、稀代の商人といわれた人物で、38歳という当時としては遅い結婚をしたが、それは商売に身を削るあまり、婚期を逸してしまったからだといわれた。その大倉が自分の伴侶はこの人しかいないと見そめたのが、20歳離れた持田徳子だった。実は持田も佐渡の出身で、上野の不忍池の周りを乗馬で颯爽と走る姿に大倉がひと目惚れしたのだという。ついつい新潟、それも郷里の佐渡の話になってしまったが、明治日本をつくった中心人物が、佐渡つながりということに、いささか驚いたからでもある。ちなみに大河ドラマの中で、渋沢と益田、そして大倉が婦人同伴で談笑するシーンがあり、一度だけだったと思うが、大倉の妻・持田徳子も出ていた。
それはさておき、その大倉喜八郎が1895年に購入したのが、静岡県北部、大井川源流域の広大な山林だった。もともと天領だった土地で、その面積は約244㎢。山手線の内側の4倍程の広さがある。その土地のど真ん中に2020年にオープンしたのが、井川蒸溜所である。(つづく)
井川(いかわ)の地から望む赤石岳。赤石岳の向こう側は中山道(木曽路)が通っており、こちらにあるのが『0193 本坊酒造のル・パピヨン・シリーズ~その①』で紹介した本坊酒造のマルス信州蒸溜所だ。 大井川源流域の”秘境”の地にある井川蒸溜所。 井川蒸溜所の製造機器はオール三宅製。こちらはマッシュタンの写真。 一覧ページに戻る