2021-12-16
アメリカン【0190夜】テネシーいちのモテ男、ジャック・ダニエル~その③
ジャック・ダニエルが南北戦争で得た金をもとに、ラウスクリークから現在のリンチバーグに蒸留所を移し、ここで本格的なウイスキー造りに着手したのは終戦直後の1866年のことだった。これが政府公認第一号の蒸留所だが、ジャックがリンチバーグを選んだのは土地も広く、なによりもウイスキー造りに適したケイブスプリング、洞窟から湧き出る良水があったからだという。
その後の成功はここで述べるまでもないだろうが、ジャックが死んだのは1911 年10 月9日で、享年65 であった。その理由が、またジャックらしくて面白い。事務所には頑丈な金庫があり、ジャックはいつも、その金庫の上に腰をかけていたが、ある日扉がうまく開かなくなってしまった。怒ったジャックは、この鉄製の頑丈な金庫を蹴って、足の指を骨折してしまったのだ。その傷がもとで患部が壊死し、その数年後に壊疸により死亡してしまったのだという。
独立心が旺盛で、人と同じことが大嫌い。金庫も新しいものに買い換えるよう忠告されていたにもかかわらず、頑として言うことを聞かなかった。いかにもジャックらしい最期である。ジャックは生涯独身を通したので、蒸留所と事業は甥のレム・モトローが引き継いだ。ジャックの墓はリンチバーグを見おろす丘の上にあるが、そこには今でも白い椅子が2 脚置かれている。
ジャックは身長155 センチの小男で、いつまでたっても“ おちびさん” であったが、派手好きで、音楽とパーティーを愛したテネシーいちのモテ男でもあった。椅子は生前のジャックを懐かしんで、複数の女友達(愛人)が、持ち寄ったものだという。ジャックといつまでも語り合うためだというが、椅子はそのままジャックの死後110年近くが経った現在も、墓の前に置かれている。もちろん、古くなればその都度、リンチバーグの村人によって新しい物に取り替えられているというが…。
ジャックダニエル蒸留所は、テネシー州のリンチバーグにある。 ジャックが蹴って骨折したといわれる事務所の金庫。 110年の時が経った現在も、ジャックの墓の前には椅子が供えられている。 一覧ページに戻る