2021-12-03
アイリッシュ【0186夜】連続式蒸留機にその名を刻んだ男、イーニアス・コフィー~その③
これまでイーニアス・コフィーと連続式蒸留機について述べてきたが、初期のコフィースチルは欠陥だらけで、不完全なものだったという。そもそも材質も鉄で(今は銅)、これは評判が悪かった。コフィーは連続式蒸留機を製造・販売する会社を立ちあげ、その生涯を改良と普及に努めた。もともとアイルランド人としてアイリッシュウイスキー発展のために作ったスチルだったが(そのため14年という短い特許期間にした)、皮肉なことにアイルランドの業者からは見向きもされず(アイリッシュの業者は大きなポットスチルで3回蒸留する道を選んだ)、コフィー自身は1835 年にイングランドのブロムリー(ロンドン近郊)に移り、そこで連続式蒸留機の改良と製造を続けた。
コフィーのスチルが受け入れられるようになったのは1840 年代からで、スコッチのローランドの業者と、ロンドンのジン業者が、この新しい発明に飛びついた。その後のウイスキーの歴史は、まさにコフィースチルがつくった歴史といってもよいのだが、こちらも皮肉なことにコフィー自身の晩年については、まったく分かっていない。ブロムリーで1852 年に亡くなったという説がある一方で、1840 年代前半にダブリンにもどり、そこで亡くなったという説もある。終焉の地も分からなければ、お墓の所在も分かっていないのだ。ウイスキー産業に輝かしい足跡を残した人物としては、いささか寂しすぎる気もするが、イーニアス・コフィーの名はコフィースチルとして永遠に語りつがれて行くのだろう。もしかするとそれこそが、コフィーの望みだったのかもしれない。
ちなみにロンドンにジン用スチルをつくるジョン・ドアー社という会社があるが、これがコフィーの後継会社だという。19 世紀後半から20 世紀にかけて多くのジン製造会社がこのジョン・ドアー社のスチルを導入している。現在でもビーフィーターや日本のサントリー、ニッカもジョン・ドアー社の古いスチルをスピリッツ、ジン用として使っているのだ。ビーフィーターには1890年代製のスチルがあり、これはポットの上のヘッド部分に棚段が付いたコラムが装置され、今でいうハイブリッドスチルのような形をしている。これもコフィーのアイデアを発展させたものだろうか。
ロンドンのケニントンにあるビーフィーターの蒸留所。現在でもロンドンで蒸留を続けている。 こちらが1890年代製のハイブリッドスチル。 一覧ページに戻る