2021-12-02
アイリッシュ【0185夜】連続式蒸留機にその名を刻んだ男、イーニアス・コフィー~その②
イーニアス・コフィーは職業意識と遵法精神にあふれた有能な役人で、それ故に密造者との間で抗争が絶えず、アイルランド北西部のドニゴール州を巡回した際には密造者に取りかこまれ、命を落としそうになるまで殴られたこともあったという。
コフィーがいつ頃から連続式蒸留機の発明に没頭するようになったのか分からないが、関税局の役人としての経験が、そこに投影されているのは間違いない。1823 年のイギリスの酒税法改正に際しては、議会の委員会から何度も意見を求められ、その都度、アイルランドの現状について報告書を提出している。それが契機になったかどうかは分からないが(コフィーの願ったかたちで法改正が行われた)、改正直後の1824 年に関税局を辞し、連続式蒸留機の発明に没頭するようになった。実験のためなのか、この年ダブリンのドッダーバンク蒸留所を買い取り、さらにその5年後の1829 年には、同じくダブリンにあったドック蒸留所を買収している。
コフィーのスチルには、そのモデルとなるものが2つあったという。ひとつはフランス人のブリュメンタールの蒸留器で、もうひとつがアイルランド人、ペリエの蒸留器である。コフィーはこの2つの良いところを合わせ、さらに独自のアイデアと改良を盛りこんで1830 年に、コフィースチルを完成させている。翌31 年にコフィーのスチルはアイルランドでのみ、14 年間のパテント(特許)が認められた。これが今日のパテントスチルの原形であり、連続式蒸留機のことをコフィースチル、パテントスチルと呼ぶ理由でもある。
グラスゴーにあるストラスクライド蒸留所。コフィーの意に反して(?)、連続式蒸留機はスコットランドのローランド地方で広く普及し、その後のスコッチウイスキー隆盛の一端となった。 アイルランドの密造酒造りのメッカだったドニゴール州には、ヨーロッパ随一の高さを誇るスリーブリーグの崖がある。 一覧ページに戻る