2021-12-01
アイリッシュ【0184夜】連続式蒸留機にその名を刻んだ男、イーニアス・コフィー~その①
スコッチウイスキーが、長年のライバルだったアイリッシュウイスキーに勝利し、ほぼ世界の市場を独占した1960 年代、ディスティラーズカンパニー、通称DCL 社の重役たちが会食の席で、最大の“ 功労者” であるイーニアス・コフィー(1780~1852)について、こう語ったという。「アイルランド人というのはつくづく逆説的というか、アイロニーに満ちている。イーニアスは自分の意図に反して、スコッチウイスキーに大きな貢献をした。まず第一にコフィーはアイルランド人だったこと。第二に彼はもともと密造を取り締まる役人だったこと。そして第三が、ウイスキーではなくコーヒーという名前だったこと……」
スコッチが世界を席捲したのは、何といってもブレンデッドの誕生が大きかったが、そのブレンデッドの誕生には、連続式蒸留機の発明が不可欠であった。連続式蒸留機の登場によって、グレーンウイスキーが安く、大量に生産できるようなり、それと、もともとハイランド地方で造られていたモルトウイスキーをブレンドすることによって、ブレンデッドウイスキーが誕生したからである。その連続式蒸留機を発明、実用化したのが、アイルランド人のイーニアス・コフィーであった。
コフィーは1780 年、当時父の赴任先だったフランスのカレーに生まれ、幼少期をそこで過ごしている。ダブリンに戻ったのは10 代前半の頃で、ダブリンのトリニティカレッジを卒業し、1800 年にアイルランド関税局の事務員として採用された。コフィー家はもともと西コーク州のバリーローの出身で、コフィーはオコフェーというゲール語名を、英語読みにしたものだという。
イーニアスはギリシャ神話のトロイの木馬に出てくる英雄の名前で、18 世紀頃にダブリンで流行したファーストネームである。父の名前やその職業など分からないことは多いが、コフィー本人は興味の対象が広く、今日でいうマルチな才能にあふれた青年だった。関税局に勤めだしてすぐにその才能が認められ、1813 年にはドロヘイダ地方の副長官、そして1820 年には全アイルランドを統括する関税当局、日本でいう国税長官の地位まで昇りつめている。(つづく)
キルベガン蒸留所に展示されているコフィースチル。 アイルランドの首都ダブリン市内を流れるリフィー川。 一覧ページに戻る