2021-11-25
カナディアン【0181夜】慈善家にして独裁者、ハイラム・ウォーカー~その②
倒産の危機を乗り越えたウォーカー社のその後の発展は、まさに破竹の勢いであった。もともと大消費地デトロイトとは目と鼻の先、周辺は穀物の一大産地で、さらにアメリカ東海岸と結ぶグレートウエスタン鉄道が開通し、ウォーカー社が所在するウィンザー市は、交通の要衝として大いに栄えることになった。ハイラムも次々にビジネスを展開し、工場のある一帯はウォーカー社の企業城下町として発展していった。拡大するスタッフ人口に対処するためハイラムが手がけたのが、従業員用の住宅の建設であり、教会や学校、警察・消防といったインフラ整備だった。
鉄道の敷設も私費で行い、19 世紀後半までに300 マイル近くを建設してしまったというから驚きだ。さらにデトロイトと結ぶフェリー会社まで興し、フェリーも走らせた。街灯、歩道、上下水道、ガスといった都市機能までもが、ハイラムの手によって建設されたのだ。その後ウィンザー市からの自治・独立を勝ちとるために街は1890 年、正式にタウン・オブ・ウォーカーヴィルとして発足した。もちろんウォーカーヴィルとは「ウォーカーの町」を意味し、ハイラム・ウォーカーの偉業を称えてのネーミングであった。
初代町長にはハイラムの甥であるハイラム・A・ウォーカー氏が選ばれ、街の記念日として7月4日が祝日と定められた。これはアメリカの独立記念日ではなく、ハイラム・ウォーカーの誕生日である。ハイラムが「慈悲深い独裁者」と後年いわれたのは、従業員や町民のためにすべてのインフラを整えた一方で、決して土地・家屋を従業員に売ることなく、一生涯労働者として“ 自分の王国” に住まわせたからであった。
ハイラムは妻メアリーとの間に7人の子供がいたが、そのうち父の事業を継いだのは二男のエドワードと三男のフランクリンであった。長男ウィリスは早世している。ハイラムが亡くなったのは1899 年1月12 日で、享年82。墓はデトロイトのエルムウッド墓地に建てられている。カナダの「ウイスキー王」はカナダ人としてではなく、最後までアメリカ人として死ぬことを選んだのである。