2021-11-24
カナディアン【0180夜】慈善家にして独裁者、ハイラム・ウォーカー~その①
カナディアンについては、ほとんど書いてこなかったので、今回はハイラム・ウォーカーについて。「カナディアンクラブ(通称CC)」で知られるハイラムウォーカー社を創業したのは、ハイラム・ウォーカーで、ハイラムは1816 年7月4日、アメリカ・マサチューセッツ州のダグラスという小さな街で生まれている。
ウォーカー家はもともとスコットランドからの移民で、両親は同州で農業を営んでいた。しかし、自分は農業に向かないと考えたハイラムは単身ボストンに出て、そこで食料品店の店員として働くかたわら、化学の勉強を始めることに。その後1838 年、22 歳の時にビジネスチャンスを求めて、当時発展著しかったミシガン州デトロイトに移住した。後年、「カナディアンウイスキーの祖」「産業界の男爵」として、カナダのウイスキー産業に大いなる貢献をしたハイラム・ウォーカーの出発点はデトロイトであり、途中5年間ほどカナダに住んだことはあったが、一度もカナダの市民権を取ることなく、アメリカ国籍のまま死んでいる。
もちろん、デトロイトですぐ成功するほどビジネスの世界は甘くない。革製品の製造や雑貨屋、食料品店、リンゴ酢の工場などいくつもの事業を手がけては失敗し、そのたびに立ち上がるという繰り返しで、ようやく1840 年代後半に穀物商・食糧雑貨商で成功し、1850 年代前半には4万ドルの資金を手にしたという。その資金を元手に、デトロイトでウイスキーの蒸留業を始めようとしたが、ミシガン州は飲酒に対する社会的反発が強く、1853 年に州独自の禁酒法が成立。特にウイスキーに対しては厳しく、製造も販売も禁止されてしまった。そこでハイラムが目をつけたのが、デトロイトの対岸のカナダ領ウィンザーの地だった。
1856 年に468 エーカー(約57 万3000 坪)の土地を購入し、製粉所と蒸留所の建設に着手。ちなみにこの土地は、オンタリオ・インディアンの大酋長ポンティアックのもので、当時は草が生い茂るだけの未開の土地だった。工場が完成したのは2年後の1858 年だったが、工場建設に10万ドル近くがかかり、創業直後には早くも存亡の危機が囁かれる始末であった。それを救ったのが融資を引き受けていたモントリオール銀行と、1861 年に勃発したアメリカの南北戦争であった。戦場に赴く兵士達に必要だったのはウイスキーのように強い酒で、ウイスキーは造ればいくらでも売れるという時代が、その後5年以上続いたからだ。(つづく)