2021-11-17
スコッチ【0178夜】グレンロセスとバイウェイの幽霊~その①
幽霊と蒸留所といえば、グレンスコシア以上に有名なのが、スペイサイドのグレンロセス蒸留所である。グレンロセスが創業したのは1878年のことで、グレンスコシアと違って、その歴史は華々しいものだった。隣接するマッカランと同じハイランドディスティラーズ社グループの一員で、スペイサイドのトップドレッシングの1つ。その原酒は引く手あまたで、かの有名なカティサークの原酒でもあった。そのグレンロセスが生産量倍増のためにスチルを6基から10基に増設し、蒸留棟を拡張したのが、1980年代のこと。以来、スチルハウスには幽霊が出るようになった。その幽霊は黒人のユーレイで、迷信深い職人たちは夜のシフトをいやがった。そこで呼ばれのが、スターリング大学の心霊研究の第一人者の教授で、彼は蒸留所に到着すると、蒸留所とは反対のローゼスの共同墓地に向かい、そこである墓の前で跪いて、長いこと誰かと対話していたという。
その墓は1970年代に亡くなった黒人のマクロンガー、通称バイウェイの墓だった。バイウェイはグレンロセスの隣のグレングラント蒸留所の2代目、メージャー・グラントの身の回りの世話をする使用人、執事として長年グラント家に仕えた人物で、生涯独身を通し、70年代に亡くなった後、墓地に葬られた。もともとメージャーが南アフリカにハンティングに行った時、ボーア戦争で孤児となっていたマクロンガーを道端で見つけ、エルギンに連れ帰ったのが始まりである。道端、バイウェイで発見したからバイウェイ。グレングラントのあるローゼスの町ではそう呼ばれ、知らない人はいない存在だった。メージャーが亡くなったあとも、グラント家の執事として勤め、晩年はローゼスの町のパブで一人静かに酒を飲む姿が見かけられたという。
そのバイウェイが亡くなって葬られたのが、ローゼスの共同墓地…。それはグレングラントではなく、グレンロセス蒸留所のすぐ横にあった。(つづく)
グレンロセス蒸留所。現在はエンドリントン・グループの傘下となっている。 グレンロセスのスチルハウス。ここに夜な夜なバイウェイの幽霊が出没していた…。 一覧ページに戻る