2021-10-07
ジャパニーズ【0163夜】ペリーの名前が付けられた日本の魚とは
ペリーの黒船来航とウイスキーについては以前も紹介したことがあるが(0066)、先日、釣り雑誌の取材で宮崎に行った時に、たまたまその話になり、ペリーのことを話したら、同行したカメラマンの知来さんから、ペリーの名前がついた魚が日本にいることを教えられた。それが“幻の魚”といわれるイトウである。イトウはサケ科の淡水魚で、体長1メートル、時に2メートル近くにもなる巨大魚で、日本では北海道の原野を流れる川などに棲息している。『釣りキチ三平』の漫画などで知っている人もいるかと思うが、昔からアイヌにとっては重要な魚で、アイヌ語でチライと言ったりもする。この学名が「Parahucho perryi」で、確かにペリーと付いている。なぜ日本の、それも北海道にしかいないイトウにペリーの名前が付いているのだろうか。
ペリーが日本にやってきたのは1853年と1854年の2回。日本に開国を迫るため、大統領の親書を携え、特命全権大使としてやってきた。2回目の1854年3月31日に、江戸幕府との間で締結されたのが、日米和親条約、通称、神奈川条約である。これによって日本は260年近く続いた鎖国に終止符が打たれた。その時、日本側にプレゼントされた品々(ボート24隻分)の中に、ウイスキー樽1樽があったことは、ペリー側の公式記録に記されている。この和親条約によって、幕府は下田と箱館(函館)の2港を正式に開くことに合意した。
ペリーの一行は直後に下田に回港し、測量など下準備をし、さらにその年5月に箱館に向かっている。ペリーの旗艦ポーハタン号以下、ミシシッピ号などの船隊が箱館湾に投錨したのが17日。その後上陸し、下田同様に開港にそなえて調査をしている。この時ペリーたちが収集したのが北海道の魚で、同行したドイツ出身の絵師ハイネに魚譜を描かせ、イトウはその後イギリスの学会に報告された。1856年のことで、この時正式に学会からペリーの名前を付けた学名が決定されることになったのだ。
カメラマンの知来要さんが作成したクリアファイル。写真に用いられているのは猿払原野に棲息するイトウだ。 一覧ページに戻る