2021-10-01
ジャパニーズ【0161夜】鑑真和上とジェームズ・ボンド
先日、鹿児島県の4つの蒸留所を取材したが、最後に訪れたのが本坊酒造のマルス津貫蒸溜所だった。津貫は南さつまの加世田にある集落で、かつて坊津(ぼうのつ)に貫ける道が通っていたことで、津貫と呼ばれたという。坊津は薩摩半島の先端にある港で、かつて三津(さんしん)の1つといわれた。律令時代の西暦8~9世紀頃に遣唐使の出港する港として栄えた。ちなみに三津はこの坊津と博多津、そして三重の安濃津(あのつ)の3つである。
坊津を有名にしているのは、唐招提寺で知られる鑑真和上(688~763年)が、754年に6度目のトライでついに日本上陸を果たしたのが、この坊津だったからだ。鑑真はその後、博多津から瀬戸内を通って奈良に入り、日本に律宗(戒律)を伝えた。歴史の教科書で必ず習う、その鑑真が第一歩を印したのが、南さつまの坊津だったというわけだ。以前、佐多宗二商店の取材のついでに、坊津まで行ったことがあるが、現在は往時の面影はまったくなく、閑散としている。浜を見おろす高台に、鑑真和上上陸の記念碑と、和上の像が建っているだけで、訪れる人もほとんどいない。
ところが鑑真の像以上に坊津を有名にしているのが、ジェームズ・ボンドの第5作『007は二度死ぬ』で、ここがロケ地になったことだ。それを記念する碑が建っていて、若い人には鑑真よりはるかにインパクトがありそうだ。当時ボンド役を演じたのはショーン・コネリー。毎回おなじみのボンドガールには、日本人女優の浜美枝が選らばれていて、日本人離れした、その抜群のスタイルに、往年のファンは胸をときめかせたものだ。もっとも若い人にはショーン・コネリーも浜美枝も分からないかもしれない。なにしろ映画が日本で公開されたのは1967年のことだから。当時、私は中学2年生。「子供の教育には悪いから観てはならない」と、親から言われたものだ。当時は知る由もなかったが、ショーン・コネリーはスコットランド人である。映画の中ではマティーニばかり飲んでいたが。
日本に正しく仏教を伝えるためにやって来た鑑真和上。 『007は二度死ぬ』のロケ地に立つ石碑。ショーン・コネリーとウイスキーにまつわるエピソードは、『0016 故ショーン・コネリーも愛飲したアイラモルト』で紹介している 本坊酒造のマルス津貫蒸溜所。 一覧ページに戻る