2021-09-27
ジャパニーズ【0159夜】竹鶴ノートの英訳本が出版される~その①
竹鶴政孝の実習ノート、通称「竹鶴ノート」の英訳本が今夏、イギリスで出版された。ノートの表紙をそのままあしらった変形A5版の本で、タイトルは“On the Production Methods of Pot Still Whisky”となっている。さらに副題にCampbelltown Scotland May 1920と入っている。訳したのはロンドンのインペリアルカレッジで教授を務めるラス・アン・ハード女史で、技術的なアドバイスや、まえがきを書いているのは、エジンバラのヘリオットワット大学の教授、アラン・G・ウォルステンホルム氏である。
竹鶴ノートはニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝が、1920年2月から5月までキャンベルタウンに滞在し、当時キャンベルタウンで最大級を誇ったヘーゼルバーン蒸留所で3ヵ月間実習をした、その成果をまとめたものである。A5版の大学ノート2冊に、当時のモルトウイスキーの製造の詳細を写真やイラストを使って述べている。ポットスチルウイスキーとタイトルにあるのは、その前年に竹鶴はエジンバラ近郊のボーネス蒸留所で3週間の研修を行い、連続式蒸留機を使ったグレーンウイスキーの製造については、別のノートで報告しているからだ。グレーンのパテントスチルに対して、モルトのポットスチルウイスキーである。
このキャンベルタウンでのノートには下書きがあり、それをいつかは分からないが、竹鶴自身が清書し、摂津酒造の上司である岩井喜一郎に報告書という形で提出したものである。それがいつのことかもはっきりしないが、日本に帰国した1921年11月の直後のことと思われる。摂津酒造は大阪住吉町に所在した酒造メーカーで、同社の阿部喜兵衛社長の命を受け、竹鶴は1918年6月29日に神戸を出港し、アメリカ経由でスコットランドを目指した。直接イギリスを目指さなかったのは、アメリカの西海岸でワイン造りの研修を受けるためだった。と同時に、当時まだ第一次世界大戦が終わっていなかったことも大きかった。(つづく)
日本のウイスキー造りの原点である竹鶴ノート。 一覧ページに戻る