2021-09-10
スコッチ【0156夜】修道士ジョン・コーの墓が発見される!?~その②
調査チームの発掘によって地下3メートルのところから発見されたのが、一人の男の棺だった。丁寧に泥や砂を払うと、その中から出てきたのがジョン・コーの原形をとどめた白骨と、そして副葬品として埋葬されたオーク製のフラスコだったという。聖杯は見つからなかったが、ジョン・コーの墓の発見。このことは少なくともウイスキー業界を騒がせるニュースとなった。埋葬されたのがいつのことかはっきりしないが、1494年の文書が書かれてから、そう遠くないことと思われる。コーは王に酒を献上した後、自らもそれを持って巡礼の旅に出た。その行き先がロスリンチャペルだったわけだが、道中暴漢に襲われ、命を落としてしまった。それを知り不憫に思った村人が、チャペルの墓地に葬ったのだという。このことは年代測定でも、文献上からも確かめられている。フラスコも15世紀の物であることが証明され、中身についても穀物を原料としたアルコールであることが分かったという。
では、なぜジョン・コーは自身の修道院から離れたロスリンチャペルに向かったのか。修道院やチャペルなら他にも、それこそ山のようにある。これについては明解な事実は分かっていないが、ロスリンチャペルは1446年に建てられた個人所有の礼拝堂で、ジョン・コーとなんらかの関係があったのかもしれない。建てたのはオークニー伯のウィリアム・シンクレアで、シンクレア家は代々オークニーを領有してきたヴァイキングの末裔である。考えてみれば、オークニー諸島がヴァイキング(当時はデンマーク王国)から、スコットランド王家の手に渡ったのが1468年のことで、ロスリンチャペルはその前に建てられたということになる。
ウィリアム・シンクレアはテンプル騎士団の家系でもあり、フリーメーソンとも関係が深かった。チャペルに行けば分かるが、建物の内外のすべての石に夥しい彫刻が施されている。そこにはキリスト教にまつわるものだけではなく、ケルト、そしてヴァイキングゆかりのモチーフも多いのだ。
ヴァイキングの歴史が色濃く残るオークニー諸島のセントマグナス大聖堂。 ロスリンチャペルの天井には所狭しと彫刻が施されている。 一覧ページに戻る