2021-08-28
スコッチ【0149夜】スペイサイドでは珍しい3回蒸留にピート麦芽…
蒸留所には生産停止、いわゆるモスボールがつきものだが、65年の長きにわたって生産停止が続いたのは、ベンリアックくらいかもしれない。蒸留所がエルギンの南に創設されたのは1898年のこと。創業者は隣接するロングモーン蒸留所を創業したジョン・ダフだった。ベンリアックはロングモーンの姉妹蒸留所としてスタートしたが、直後にウイスキー不況の逆風にさらされ、2年足らずで操業停止に。その後、1965年にロングモーンともどもグレンリベット社(のちのシーバスブラザーズ社)に買収されるまで、ロングモーン用の麦芽づくりと、ウェアハウスの利用のみという状態が続いていた。
再開されたのは当時(60年代半ば)ブレンデッドが飛躍的に伸びていて、シーバス社のシーバスリーガル用の原酒が必要だったからである。しかし、あくまでもベンリアックはサブ的な原酒。当時シーバス傘下にアイラの蒸留所がなく、そのためスペイサイドとしては珍しいへビリーピートの麦芽を使った仕込みも行い、さらにローランドタイプの軽い原酒の必要性から、3回蒸留のベンリアックも造られることになった。70年代にはそれ用のスチル1基を追加して3回蒸留を行っていたが、このスチルはその後取り外され、日本の焼酎メーカーに中古として売却されている。
つまりベンリアックはスペイサイドモルトの典型であるノンピートの原酒と、アイラタイプのピーティな原酒、そしてローランドタイプの3回蒸留の原酒と、3つのタイプの原酒を造り分ける珍しい蒸留所で、それが現在の多彩な製品を生み出す要因となっている。
今でもその伝統は続いていて、ごく少量ではあるが3回蒸留の原酒(今はスチル4基で蒸留)と、これも少量だが自家製麦したスモーキーな原酒を造り続けている。自家製麦、フロアモルティングをやっている蒸留所はスペイサイドには2つしかなく(もう1つはバルヴェニー)、それが可能なのは不遇時代の65年間、ロングモーンのために麦芽をつくり続けてきたからなのだ。
ベンリアックの建物の前には樽詰めを待つ樽が積まれている。 グラバーコレクション№2のベンリアックは、№1のタムナヴーリンと同じく9月に発売。 一覧ページに戻る