2021-08-07
スコッチ【0137夜】ブルース王とバノックバーンの戦い
ロバート・ザ・ブルースとバノックバーンの戦い、そしてクモの巣の伝説については紹介したが、1314年のバノックバーンの戦いに勝利できたのは、いくつかの要因が考えられる。そのひとつが、この地がテイ川下流部の湿地帯で、地元の人にしか分からないルートがあったこと。当時ヨーロッパ最強といわれたイングランド軍は、鉄騎兵を中心とした機動力が持ち味。統率力と戦術面で長けていたが、バノックバーンはうかつに踏みこむと腰まで水につかり、身動きできなくなるという難所でもあった。ブルース王は巧みにこの湿地にイングランド軍をおびきよせ、数でははるかに優勢なイングランド軍を、個々に撃破していったのだ。
もうひとつ。長い間スコットランドを苦しめていたイングランド王、エドワード1世が前年に亡くなり、エドワード2世が、跡を継いでいたこと。父王はロングシャンク、「長脚王」としてヨーロッパ中にその勇名が轟いていたが、息子は優柔不断で、しかも男色の気もあった。父のエドワードは、そんな息子の性格を嫌い、自分が死んだら、その死体を大鍋で煮て、骨を槍先に掲げて進軍せよと命じていたが、息子のエドワード2世はその命にそむき、ロンドンのウエストミンスター大聖堂で盛大な葬儀を催し、勝機を失ってしまった。つまりロバート・ザ・ブルースにとって脅威だったエドワード1世が亡くなり、勝機が訪れたのだ。ブルース王がスコットランドの歴代の王の中で、「最も幸運に恵まれた王」と言われたのは、そのためだ。
スコットランドがイングランドとの戦で勝ったのは、このバノックバーンくらいで、それ故、勝利したロバート・ザ・ブルース王はスコットランド独立の英雄として今でも人気が高いのだ。若い頃はギャンブル好き、乱暴者で、私利私欲のためならイングランドに味方することもいとわず、ましてや政敵をワナにはめ、教会内で暗殺した男でもある。しかし晩年は悔い改め…。(0137につづく)
スターリング近郊にあるロバート・ザ・ブルース像。 一覧ページに戻る