2021-07-21
スコッチ【0126夜】東洋のパゴダがモデルとなったキルン棟
スコッチの蒸留所といえば、独特の形をしたキルン棟のパゴダ屋根が有名だが、これは元からあったわけではない。もともとキルン棟は麦芽を乾燥させるところで、ここでピートや石炭(無煙炭)などを焚き、緑麦芽を乾燥させた。パゴダ屋根はもともと煙突で、かつては四角の普通の煙突がついていたが、それを現在のパゴダ屋根に変えたのは、19世紀の建築技師、チャールズ・ドイグだといわれている。彼はスコットランドの技師で、蒸留所の設計に多く携わっていたが、1870~90年代は、ヴィクトリア期で、ちょうどスコットランドでは“東洋ブーム”が起きていた。世界最古といわれるジャーディン・マセソン商会は、スコットランド人が起業した商社だし、グラスゴーやアバディーンといった港町は、造船や東洋との貿易で栄えた町だった。
スペイサイドに生まれ育ったチャールズ・ドイグも、そうした東洋趣味を、若い頃から身に付けていたのだろう。そこで彼が考えたのが、キルンの屋根をパゴダ風にすることだった。東南アジアから中国、そして日本の寺社建築に見られるデザインで、これがひと際、目を引いたのだろう。ドイグのところには次々と依頼が舞い込み、すっかりスコッチの蒸留所のシンボルとなってしまった。当時建てられた、多くの蒸留所はこのパゴダ屋根を取り入れたが、これはスコッチだけの話で、お隣のアイルランドでは、一切取り入れられていない。唯一の例外が、北アイルランドのブッシュミルズで、これは1885年の火災の際に、その再建をチャールズ・ドイグに託したからである。ブッシュミルズは以来、ウイスキー造りのスタイルもスコッチ風に改めている。
スコッチで、反対にパゴダ屋根を導入しなかったのが、キャンベルタウンで、ここの蒸留所は1920~30年代まで、アイルランドやイングランドで用いられていた三角錐の煙突、それも風向きによって回転する煙突を用いていた。これは竹鶴政孝が書いた『竹鶴ノート』の中でもイラスト入りで述べられている。
今ではお馴染みとなった蒸留所のパゴダ屋根。写真はグレンフィデック蒸留所のパゴダ屋根だ。 『竹鶴ノート』にも図示されている三角錐の煙突。 一覧ページに戻る