2021-05-26
アイリッシュ【0108夜】新生タラモア蒸留所の2つの記念物
新生タラモア蒸留所がタラモア郊外に完成し、そのオープニングセレモニーが開かれるというニュースは、アイルランドだけでなく、アメリカでも報道されたという。そのニュースを聞いて、一人のアメリカ人女性が連絡を寄こした。それは「私の祖父はかつてタラモア蒸留所で働いていたことがあり、その鍵を今でも持っている」というものだった。
祖父の名前はトム・マクケイブ。調べてみると1953年に旧タラモア蒸留所が閉鎖となった当時、スチルマンとして在籍していたことが分かった。スチルの釜の火を落とした最後の日、トムさんが蒸留棟に鍵をかけ、そして去ったのだという。タラモア蒸留所では2014年の9月16日のオープニングセレモニーの日に、スペシャルゲストとしてトムさんを招いた。トムさんはタラモアを去った後、アメリカに渡り、アメリカでビジネスを成功させ、今は悠々自適の生活を送っている。しかし、90過ぎの高齢ゆえ心配したが、お孫さんに付きそわれて元気にやってきたという。それは60年ぶりの里帰りだった。その時に撮られた写真が下の1枚。写っているのはお孫さんではなく、新タラモア蒸留所の生産マネージャーのデニス・デヴァニーさん。実はこの時、トムさんが彼女に手渡したのが、旧タラモア蒸留所のスチルハウスの鍵だった。トムさんは、その年の暮れ、アメリカで静かに息を引き取ったという。
実はもうひとつ、タラモアにはメモリーとなる物がある。それが下の写真で、これは新生タラモア蒸留所の建設計画の発案者でもあり、陣頭指揮をとっていたチャールズ・グラント・ゴードン氏の記念の石だ。チャールズさんはウィリアム・グラント&サンズ社の4代目で、蒸留所が完成する前の2013年に亡くなってしまった。そこで故郷のダフタウンのグレンフィディックの建物の石を1つ持ってきて、こうしてメモリーとして壁にはめこんだのだ。グレンフィディックは初代ウィリアム・グラントが家族と力を合わせ、1887年に自ら石を積んで造った蒸留所。その家族の原点ともいえる石を1つだけ、タラモアの建材として使ったのだ。
トム・マクケイブさん(左)とデニス・デヴァニーさん(右)。タラモアのウイスキー造りは新しい世代に受け継がれた。 ダフタウンのグレンフィディックから持ってきた記念石。 一覧ページに戻る