2021-05-09
スコッチ【0100夜】帆船カティサーク号とそのウイスキー~その④
アメリカの禁酒法については以前にも紹介したが、施行されたのが1920年1月17日で、解除されたのが1933年12月6日である。ほぼ14年間続いたが、世紀の悪法、ザル法といわれ、酒の消費量は施行前の3倍近くにのぼったという。特にウイスキーの消費は凄まじく、あらゆるウイスキーが密輸、もしくは密造された。ロンドンいちの老舗で、英王室御用達にも認定されているBBR社が、この時期に北米マーケットにターゲットをしぼったブランドを開発したのも、まさにそうした事情があったのだ。
もちろん正式にアメリカに輸出したわけでなはい。フロリダ沖に浮かぶバハマ諸島に一度輸出し、そこから密輸船でニューヨークなどに運んだのだ。そもそもBBRにアメリカ向けのスコッチウイスキーを造るように提案したのは、当時バハマからアメリカへの密輸ルートを確立していたビル・マッコイ船長だったといわれる。アメリカではライトテイストでナチュラルカラーのウイスキーが好まれると言ったのもマッコイ船長だ。
バハマのナッソー港で船に積まれたカティサークは大西洋を北上し、かつて“ラムロウ(ラム酒の道)”と呼ばれた海上のルートを通ってニューヨーク沖に到達する。そこでマッコイ船長が手配した密売人の船に積み替えられる。いわゆる、今でいう“瀬どり”で、アメリカの領海外で取引きが行われた。当然それはギャング達で、アル・カポネ達も一味に加わっていたのだろう。当時アメリカではニセ物のスコッチウイスキーが横行したが、マッコイ船長が持ちこむ酒は本物だということで、いつしか“リアルマッコイ”なる呼び名も生まれた。そのリアルマッコイの代名詞ともいわれるのが、海の男たちの憧れでもあるカティサークだったのだ。
ちなみに禁酒法解除80年を記念してカティサークが2013年にリリースしたのが、その名もプロヒビション(Prohibition)、禁酒法というボトルで、そこにはリアルマッコイのストーリーも載せられていた。
2013年にリリースされた「カティサーク プロヒビション」。2枚目・右側の写真に写っている人物こそが、”リアルマッコイ”ことジム・マッコイ船長だ。 一覧ページに戻る