2021-05-08
スコッチ【0099夜】帆船カティサーク号とそのウイスキー~その③
1923年の3月のある日、ロンドンのセント・ジェームズ街3番地にあるベリーブロス&ラッド社の重役室に男たちが集まって、ある協議をしていた。ベリーブロス、通称BBR社は、1698年創業の老舗のワイン・スピリッツ商。そこがアメリカ市場向けの新しいブレンデッドスコッチを完成させ、そのブランド名やパッケージをどうするか、話し合っていたのだ。そこに招かれたのが、スコットランド人絵師のジェームズ・マクベイ氏。その時マクベイ氏が提案したのが、ちょうどテムズ河に再び姿を現したカティサーク号の勇姿だった。
カティサークはロバート・バーンズの詩から名付けられた船で、しかも建造はスコットランドのダンバートン港。これ以上、ふさわしい名前はないように思われた。もちろんBBRの重役たちも、即座にその案に賛成し、マクベイ氏にカティサークを描くように依頼。マクベイ氏は、その場でカティサークの姿を描き、“Scots Whisky”と手描きの文字を入れた。実はカティサークは、2000年代初頭まで、スコッチウイスキーではなく、スコッツウイスキーと表記されていたのだ(今はScotch Whisky)。山吹色のシンボルカラーは、印刷所が間違って刷ってしまったからというが(本来はもっと渋い色)、それがあまりに鮮やかだったため、あえてそれを採用したのだという。
もともとアメリカ市場向けに開発されたもので、カラメル着色をしないナチュラルカラー、ライトテイストが売りだったが、よく考えてみれば1923年というのは、アメリカの禁酒法の真っ只中。そんな禁酒法時代のアメリカに売ろうというのだから、それは当然、密輸である。しかし、ロンドンいちの老舗であるBBR社、しかも英王室のワインの管理を任されているロイヤルセラーが、あえてそれにチャレンジしようというのだから、それほどアメリカの市場がおいしかったということだろう。アメリカの禁酒法はザル法で、ウイスキーの消費量はそれ以前と比べても何倍にもはね上がったという。このカティサークの事例は、そのことを如実に物語っているのだ。
コンビニやスーパーなどでもよく見かける、お馴染みの「カティサーク」のボトル。 一覧ページに戻る