2021-05-06
スコッチ【0097夜】帆船カティサーク号とそのウイスキー~その①
私が愛用しているマグカップの1つが、カティサークの販促用のマグカップである。シンボルカラーである鮮やかな山吹色で、カティサークのロゴと、帆船カティサーク号のおなじみの姿が描かれている。さらに、その反対側には「You can’t DISCOVER a new ocean until you have the courage to leave the shore」の英文が書かれている。“岸辺を離れる勇気を持たなければ、けっして新しい世界を発見することはできない”といった意味だろうか。まさに海の男達に愛されてきたカティサークの真骨頂ともいえる格言だ。
カティサーク号は1869年にクライド湾のダンバートン港で進水した、ティークリッパー、いわゆる紅茶運搬用の快速帆船だ。スピードを重視した船で、そのために船型を細くし、積載重量はギリギリまでおさえられた。3本マストに横帆(おうはん)を張ったつくりで、いかにもスピードが出そうな船である。縦帆をメインとしたスクーナー型の船とは、もともとの用途が違っている。時はまさに大英帝国の絶頂期で、中国やインドから、いかに早くその年の新茶を運ぶかが競われた時代で、その年一番に茶葉をロンドンに届けた船には報酬金が支払われたという。史上名高いティークリッパーの競争で、カティサーク号と好敵手のサーモピレ号のレースは、今でも語り草になっているほどだ。当時、中国からロンドンまで100日前後で走ったというから、相当なスピードである。
しかし、スエズ運河の開通とともに、ティークリッパーの時代は終わり、以降は蒸気帆船、そして蒸気船の時代へと移っていく。進水して数年もしないうちに、カティサークのティークリッパーとしての役目は終わり、その後はオーストラリアやニュージーランドから羊毛を運ぶ、ウールクリッパーとして活躍したが、帆船時代の終焉とともにポルトガルに売られ、余生を送ることになった。そのカティサーク号が再びテムズ河に美しい姿を見せたのが、1922年秋のことだったという。(つづく)
カティサークのマグカップ。ちなみに100日前後という日数があれば、現在ではクルーズ船で世界一周旅行をすることもできる。 一覧ページに戻る