2021-04-28
アイリッシュ【0093夜】アイリッシュ復興の立役者、ジョン・ティーリング氏とクーリー蒸留所、キルベガン~その③
だいぶ前の話になるが、ウイスキー評論家で『ウイスキーバイブル』の著者でもあるジム・マーレイ氏がキルベガンを称して、「キルベガンはウイスキーの聖堂である。キルベガンを見ずしてアイルランドを去るなかれ」と言ったことがあるが、まさにキルベガンを見ずしてウイスキーを語るなかれ、である。
アイルランド中部のキルベガンの町に蒸留所が創業したのは1757年で、当時は横を流れる川の名前をとってブルスナ蒸留所といっていた。19世紀以降は経営するロックス一家の名前から「ロックス蒸留所」と呼ばれてきたが、1950年代初頭に閉鎖。3基あったポットスチルは銅のスクラップとして売られ、その後建物は地元の養豚業者が利用していたが、産業遺産として残そうという声が高まり、80年代前半に町が買い取り、蒸留所博物館としてオープンさせていた。それを1988年に買ったのがジョン・ティーリングさんだったという話は前回(0092)書いたが、キルベガンが“ウイスキーの聖堂”と言われるのは、19世紀から20世紀初頭にかけての、アイルランドの蒸留所の佇まいを現代に伝えているからだ。
驚くべきはそのマッシュタンや、麦汁の冷却装置などだが、そもそも穀物の粉砕はスコッチで一般に使用するローラーミルではなく、昔ながらの石臼を用いていたこと。しかも、その動力は水車に頼っていたというから驚きだ。実はキルベガンは1950年代に閉鎖されるまで、一度も電化されることがなかった。巨大な鉄製の水車を動かしたのは、ブルスナ川の上流から引いてきた水の力で、夏の間の渇水期には水車にかわって蒸気エンジンを動かしていたという。
スコッチにはダラスドゥーという、やはり蒸留所博物館があるが、アイリッシュのキルベガンはそれより古く、まさにアイリッシュとはどんな蒸留所だったのかを、まるでタイムスリップしたかのように見せてくれる貴重な施設となっているのだ。
キルベガンは1950年代に閉鎖されるまで電化されておらず、蒸留所のすべての動力はこの鉄製の巨大な水車から得ていた。 以前はタラモアで使われていたポットスチル。 未発芽の大麦やカラス麦は硬いためローラーミルでは挽けず、この石臼で粉にした。 一覧ページに戻る