2021-04-27
アイリッシュ【0092夜】アイリッシュ復興の立役者、ジョン・ティーリング氏とクーリー、キルベガン~その②
前回に引き続きアイリッシュ復興の話。ジョン・ティーリングさんがクーリーを買ったのが1987年で、最初のモルトウイスキーは1989年に生産開始となった。スチルはベンネヴィスの中古だったと書いたが、グレーンウイスキーの生産は、翌1990年に始まっている。もともと、ここは国立のアルコール製造工場で、そのための連続式蒸留機はあったが、粗留塔はウイスキー用に使えない。そこでウイスキー用の粗留塔を新調し、トウモロコシ原料のグレーンウイスキーを造り始めたわけだが、ジョンさんがグレーンを造ったのには理由がある。それはアイリッシュの敗因はポットスチルウイスキーに固執し、スコッチのブレンデッドに遅れをとったというのが、ジョンさんの持論だったからだ。
アイリッシュ復興の鍵はモルトウイスキーとグレーンウイスキー、そしてそれをブレンドしたブレンデッドウイスキーだというのがジョンさんの分析で、そのための適当な“物件”を探していたところに、国立の蒸留所の売却話が浮上したというわけだ。それにしても、スチルがベンネヴィスの中古というのも面白い。実はベンネヴィスは1989年にニッカウヰスキーが買収した蒸留所で、当時設備を新しくする必要があって、スチルを売りに出していたのだろう。それがジョン・ティーリングさんの手に渡り、やがてアメリカのビーム社の所有となり、現在は日本のサントリー(ビームサントリー)の所有になっているのだから、スチルはスチルで数奇な運命をたどったことになる。
当時クーリーには熟成庫がなく、樽はすべてアイルランド中部にあるキルベガン蒸留所に持っていき、そこで熟成させていた。キルベガンは1757年に創業したアイルランド最古の蒸留所のひとつで、当時蒸留所博物館として一般に公開されていた。そこをジョンさんが買ったのが、クーリー創業1年後の1988年で、その敷地の中に奇妙なウェアハウスをつくり、そこでパラダイス式でクーリーの原酒を熟成させていたのだ。
0091とは別の角度から見たクーリー蒸留所。 樽はパラダイス式で貯蔵させることで、スペースを有効活用できる。 ブリッグス社製の最新鋭のマッシュタン。 一覧ページに戻る