2021-04-26
アイリッシュ【0091夜】アイリッシュ復興の立役者、ジョン・ティーリング氏とクーリー、キルベガン~その①
アイリッシュウイスキーの復興は目を見張るものがあるが、その立役者となったのが1987年にクーリー蒸留所を創業したジョン・ティーリングさんだ。アイルランドのダブリン生まれで、アメリカのハーバード・ビジネススクールで学んだジョンさんは、ある日、国立のケミックトー蒸留所が売りに出されていることを知る。その蒸留所は1940年代にアイルランド自由国政府(現アイルランド共和国)が建てた蒸留所の1つで、ジャガイモから工業用アルコールを生産する工場であった。北アイルランドとの国境に近い、クーリー半島のリバースタウンにある蒸留所の売り値は2,000万円。そのニュースを知ったジョンさんは、即座に買い取りを決意。それをウイスキー蒸留所に改造して、1987年にオープンした。
クーリーにはジャガイモからアルコールを蒸留する連続式蒸留機が1セットあったが、それではウイスキーは造れない。建物や発酵槽はそのまま利用したが、モルトウイスキーを造る糖化槽、そしてポットスチルは中古を買ってきた。2基あるスチルは、なんとスコッチのベンネヴィスの中古品で、それを導入してスコッチタイプの2回蒸留のモルトウイスキーを造り始めた。それが1989年からで、アイリッシュ初となるピーテッド麦芽を使ったカネマラは、クーリーの代表的製品となったが、もちろんピート麦芽はスコットランドからの輸入である。
グレーンウイスキーは、粗留塔だけウイスキー用の新しいものを導入し、1990年から生産を開始している。ジョンさんのハーバードでの研究テーマが「なぜアイリッシュはスコッチに敗れたのか?」で、その結論からスコッチと同じウイスキー造りを目指した。2回蒸留のモルトウイスキーや、ピーテッド麦芽を使った仕込みもそうだが、ジョンさんが結論づけたスコッチとの決定的な差は、ブレンデッドウイスキーの存在だった。(つづく)
クーリー半島のリバーズタウン郊外にあるクーリー蒸留所。左手背後には、北アイルランドとの境を形成するクリーン連山がそびえる。 もともとベンネヴィスの中古だったポットスチル。左が初留釜で、右が再留釜。 ケミックトー時代からある連続式蒸留機。右手前の粗留塔だけ1989年に新しくしたものだ。 一覧ページに戻る