2021-04-21
ジャパニーズ【0090夜】山崎蒸溜所と僧・行基が建てた西観音寺。サントリー白札の中身とは~その③
日本初の本格ウイスキー、サントリーの白札について前回、それはシングルモルトではなかったのではないかと書いたが、その根拠と思われるのが、ひとつは当時スコッチにもシングルモルトという概念はなく、ほぼすべてはブレンデッドだったという事実。スコッチはモルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンドして、ブレンデッドを造っていたが、ここで問題になるのが、日本には本格的なグレーンウイスキーがなかったことだ。そこで竹鶴が考えたのが、モルトウイスキーと醸造アルコールを混ぜること。実は竹鶴は寿屋に入社(1923年)する前の摂津時代に、あの「竹鶴ノート」を書いている。その中で「将来、摂津で造る場合、ポットスチルウイスキーを年間1,000石、それに芋取ウイスキー3,000石、この2つを混ぜて年間4,000石の新ウイスキーを得る」と書いている。
1石は180リットルなので、1,000石で18万リットルということになるが、これは今のように100%アルコール換算ではなく55%くらいのニューポットの話だろう。つまり年間4,000石で、約50万リットルくらいになるだろうか。要するにモルトウイスキーはあくまでも原酒で、それに3倍量の芋取ウイスキーをブレンドすると書いている。芋取といっているのはサツマイモを原料に連続式蒸留機で造られたスピリッツである。摂津酒造はその専門メーカーだったが、寿屋も1919年に大阪南港にアルコール工場を設立し、主に赤玉ポートワインやヘルメスウイスキー、そしてトリス用の醸造アルコールを造っている。当時の連続式蒸留機はイルゲス式だったと資料にある。
その大阪工場のスピリッツの移送許可、ブレンド許可を1926年に申請し、1928年には実際に大阪工場のスピリッツが山崎に移送開始となっているのだ。必要がなければ、そんな申請はしないはずなので、これは白札の原酒用にという意図だったからだろう。つまり日本初の本格ウイスキー白札は、山崎のモルト原酒と大阪工場のスピリッツがブレンドされた、日本独自のブレンデッドウイスキーだったと考えられるのだ。ちなみに今年2月に発表されたジャパニーズの定義では、醸造アルコールを加えることは許されていない。
サントリー大阪工場にある連続式蒸留機。 サントリー大阪工場の玄関前にある、「赤玉ポートワイン」を掲げた鳥井信治郎の像。 NHKの連続テレビ小説「マッサン」でもおなじみの竹鶴政孝が記した「竹鶴ノート」。 一覧ページに戻る