2021-04-20
ジャパニーズ【0089夜】山崎蒸溜所と僧・行基が建てた西観音寺。サントリー白札の中身とは~その②
山崎蒸溜所が行基が建てた西観音寺の跡地だったと前回紹介したが、その用地買収が1923年10月1日で、実際の事業計画が練られ、大阪税務局に製造許可申請を出したのが、1923年暮れから翌24年初めだったと思われる。その事業計画書の表書きに「寿屋スコッチウイスキー醸造計画書」とあり、当時ウイスキーはスコッチウイスキーとの認識があったことがうかがわれる。今では考えられないことだが、この山崎の設備の設計図(?)は現在、ニッカの余市蒸溜所に展示されている。
山崎の製造許可が下りたのが24年4月7日で、起工式は4月15日に行われている。それから半年以上の工事期間があり、山崎が竣工したのが1924年11月11日。寿屋では山崎に多くの人を招き、盛大に竣工式を行っている。今でもサントリーの山崎蒸溜所では、毎年この日にセレモニーを行っているというが、竹鶴政孝が正式に初代工場長となったのは、この日のことだろう。
山崎はその直後から仕込みに入っているが、もちろん製麦はフロアモルティングであり、まず麦芽づくりからスタートし、その後、糖化・発酵を経て、蒸留へと進んだのだろう。最初の蒸留が行われたのは1924年12月のことだと思われるが、その記念すべきニューポットは、スペイン産赤ワイン樽に詰められた。今でも山崎蒸溜所には、その時の樽が残っている。鏡のところにNo.0001と書かれた樽で、蒸留年の1924が入っている。鏡をよく見ると、ペンキ(ステンシル)の下は「カディス」と彫った跡が見えるので、この樽は赤玉ポートワイン用に、スペインのカディス港から出荷された赤ワイン樽だったと分かる。
それはさておき、1929年4月1日に発売されたサントリーウイスキー白札は、いったいどんなウイスキーだったのだろうか。もちろん、大麦麦芽100%の本格モルトウイスキーで、熟成は4年ちょっと。麦芽にはスコットランドからわざわざ輸入したピートを焚き込んでいるので、かなりスモーキーだったと思われる。しかし、それだけだったら、今でいう山崎のシングルモルトということになるが、はたして、そうだったのだろうか…。(つづく)
山崎蒸溜所の遠景。蒸留所のすぐ前のJR京都線と、そのすぐ近くを平行するように走る阪急京都線の沿線には、大手のビール工場も集中している。 山崎蒸溜所内にある椎尾神社。 写真では少し見づらいが、樽の中央部にアルファベットで「CADIZ」と彫られている。大西洋に面したカディス港の近くには、シェリーの産地で有名なへレスがある。 現在はニッカの余市蒸溜所に展示されている「寿屋スコッチウイスキー醸造計画書」。 一覧ページに戻る