2021-04-19
ジャパニーズ【0088夜】山崎蒸溜所と僧・行基が建てた西観音寺。サントリー白札の中身とは~その①
先日ジャパニーズウイスキーの日というのを制定し、その第1回のイベントを行ったが、実行委員会のほうでジャパニーズウイスキーの日としたのは、4月1日である。もちろん、エイプリルフールだからではない。この日に、日本初となる国産本格ウイスキー、サントリーの白札(通称)が発売されたからだ。1929年、昭和4年のことで、ジャパニーズウイスキーの日とするのに、これ以上にふさわしい日はないと思ったからである。では、このウイスキーはどんなウイスキーだったのだろうか。
白札の原酒が造られたのは、これも本邦初の本格モルトウイスキー蒸留所、山崎である。現在のサントリー山崎蒸溜所で、山崎が創業したのが1923年(大正12年)10月1日のこと。この日に生産開始になったのではなく、山崎の用地取得が正式に決まり、寿屋が正式に本格ウイスキー造りを発表した日である。山崎は現在の大阪府島本町、天王山の麓で、かつて千利休が茶を点てたことでも知られる名水の里。さらに眼の前では木津川、宇治川、桂川の3つの河川が合流し、霧の発生しやすい土地柄でもあった。つまりウイスキー造りの好適地として選ばれたわけだが、実はここがもともと奈良時代の746年に建てられた西観音寺の跡地だったことは、ほとんど知られていない。建立したのは有名な僧・行基で、聖武天皇の時代である。本堂を中心に多くの塔頭(たっちゅう)が建ち並び、往時には門前町を形成していたという。
しかし、明治の廃仏毀釈で西観音寺は神社に変わってしまい、地蔵堂など多くの塔頭は移転、門前町もなくなり、荒れ放題の空き地になっていたという。それを蒸留所に改造しようと買ったのが、寿屋の鳥井信治郎だったのだ。買収した敷地は3,000坪。実は現在蒸留所を訪れると、真ん中に公道が走っていて、その正面に神社の鳥居が見えていて不思議に思うが、それは当時の名残りなのだ。つまり西観音寺の参道が公道として、そのまま残っていることになる。(つづく)
山崎蒸溜所があるのは山崎駅(JR京都線)のすぐ近くと、蒸留所見学にはもってこいの場所である。蒸留所のそばを流れる桂川・宇治川・木津川は、この地で合流して淀川に名前を変える。 西観音寺の跡地であることを刻んだ石碑。 蒸留所の敷地内に併設されている「山崎ウイスキー館」では、歴代の様々なボトルが展示されている。写真は、日本初の本格ウイスキー「白札(通称)」。 寿屋(現サントリー)の創業者・鳥井信治郎氏。 一覧ページに戻る