2021-03-23
スコッチ【0082夜】もうひとつのロイヤルウイスキー、グレンユーリーロイヤル
ロイヤルと付く蒸留所はロイヤルブラックラとロイヤルロッホナガーの2つしかないと、前回(0081)紹介したが、実はロイヤルと付く蒸留所が、もう1つ存在する。それが1985年に閉鎖されたグレンユーリーロイヤルだ。
グレンユーリーが創業したのは1825年のことで、創業者はロバート・バークレイという人物だった。バークレイは今でいうアスリートで、200キロを2日で走破したり、1,600キロを1,000時間で歩くなど、数々の記録をつくっている。当然、交友も広く政治家から貴族、そして実業家まで多くの友人がいたという。その中の一人、彼が“高貴な婦人”と呼んでいたある女性の紹介で、時の国王ウィリアム4世にウイスキーが献上され、その縁でロイヤルと付けることが許された。1836年のことで、これがロイヤルブラックラに次ぐ、第2の王室御用達蒸留所となった。ちなみにロイヤルロッホナガーは1848年に、ウィリアム4世の跡を継いだヴィクトリア女王から王室御用達の勅許状が授けられている。したがってウィリアム4世のワラントはブラックラとグレンユーリーの2つということになる。
ところで、この高貴な婦人というのは誰のことだろう。ウィリアムが「庶民王」と言われたことは前回紹介したが、実は王には20年間連れそった内縁の妻がいた。それがアイルランド出身の女優であるドロシー・ジョーダンで、2人の間には10人の庶子が生まれている。さすがに王族と女優の結婚は許されなかったが、王は、この10人の庶子に当時の爵位であるクラレンス公のクラレンスをとって、フィッツクラレンスという姓を与えている。フィッツは上流階級の“子供”を意味する接頭語で、やがて正式に別の女性と結婚した際も、すべて養子として受け入れたという。
こんなところも庶民王といわれた理由なのだろうが、おそらくバークレイは、このフィッツクラレンス家の誰かと知人で、その縁で父のウィリアム4世の知己を得たのだろう。王は大の酒好きだったが、そのことがもとで肝硬変にかかり、1837年に71歳で亡くなっている。
1985年に閉鎖したグレンユーリー・ロイヤル蒸留所。蒸留所は、ハイランド東海岸のアバディーン南部にあった。 一覧ページに戻る