2021-03-17
アイリッシュ【0079夜】アイルランドのラウンドタワー
セント・ケヴィンと初期キリスト教の教会、ラウンドタワーが出てきたついでに、改めてラウンドタワーについて紹介しておきたい。
ラウンドタワーはアイルランドのキリスト教建築の象徴と以前書いたが(0061)、実際、これほどのタワーが残っているのはアイルランドだけで、現存するものだけでも80近くが知られているという。現在ではタワーだけがポツンと無人の荒野に残されている例も少なくないが、かつては修道院、礼拝堂とセットになっていて、主に10世紀以降に造られたものだという。
ラウンドタワーの建築様式は、ひとつのルールがあったようで、高さは判で押したように100フィート、約30メートル。基礎の外周は50フィート、約15メートルに統一されているという。30メートルというと7~8階建てのビルに相当する高さで、その基礎は外周15メートル、つまり直径5メートルしかない。鉛筆のように細い石造りの円塔で、その見事な建築技術に圧倒される。
先端は三角すいの屋根が本来ついているが、これが失われたものも多い。それぞれ地方によって使う石材は異なっているが、その石材を積み固めるのに用いられた技術がモルタル技術で、これは10世紀頃にローマから伝わったとされる。ラウンドタワーがさかんに造られるようになったのは、したがって10世紀、11世紀以降のことである。
タワーの目的は諸説あって、よく言われるのがヴァイキングの襲撃に備えるためというものだったが、ヴァイキングがやってきたのは8世紀終わりから9世紀。修道院の財宝を隠したとする説は、逆に財宝の在りかをヴァイキングに知らせるようなもので説得力を持っていない。それよりも、現在では教会権力を近隣に知らせるための象徴とする説が有力だ。
もちろん鐘楼の役目もあったというが、それだけのタワーを建てることができた教会、修道院の権力の象徴として使われたというのが、正しいのだろう。実はスコットランドにもラウンドタワーが3つほど現存するが、そのうちの2つはアイルランドと縁が深かったアンガス地方で、ヴァイキングの襲来とはまったく無縁である。もっとも有名なのはブレヒンのラウンドタワーで、これはかなりの内陸に位置している。
グレンダロッホにあるラウンドタワー(上)とブレヒンにあるラウンドタワー(下)。今も昔も、大きな建造物が繫栄や力の象徴となるのは、人間が本能的に、大きなものへの憧憬や畏怖を持っているからなのだろうか…。 一覧ページに戻る