2021-03-02
スコッチ【0074夜】ブルース家とグラバーボトル~その②
アデルフィー社のアレックス・ブルース氏は、その名が示すとおり、スコットランド王ロバート・ザ・ブルースの末裔だ。ブルース王は1314年のバノックバーンの戦いで、エドワード2世率いるイングランド軍に勝利し、スコットランドの独立を勝ち取った。のちにアーブロース宣言(1320年)を採択し、この文章はアメリカの独立宣言に少なからず影響を与えていることは、知る人ぞ知る話である。
スコットランドの王位は、その後スチュワート家に引き継がれるが、ブルース一族はその後もスコットランドで代を繋ぎ、バノックバーンから700年後の2014年には、全世界に散らばっているブルース一族の末裔約800人が、バノックバーンの古戦場に集結したという。その長が、アデルフィーのアレックス・ブルース氏だった。しかし、それでも何故グラバーのボトルを…。
実は長崎開港のもととなったのが、日米修好通商条約。これは1858年にアメリカとの間で結ばれた条約だが、同様に幕府はイギリス、フランス、オランダ、ロシアともこの条約を結んでいる。その時、条約調印のために日本にやってきたのが、当時のエルギン伯ジェームズ・ブルースである。アレックス氏は、その玄孫にあたるという。エルギン伯は香港から、イギリス王室の船ヴィクトリア号に乗って江戸にやってきたが、この船は調印後、江戸幕府の将軍に献上された。いわば、女王陛下からの贈り物だ。この条約によって、イギリスは長崎と横浜に居留地を持ち、そこにジャーディン・マセソン商会が進出したのだ。
グラバーのウイスキーは、それを記念したものだが(調印から150年)、中身については明かされていない。日本のウイスキーは羽生の原酒だったというが、スコッチのほうは定かではない。ただ、グレンギリーが入っているのは確かなようで、これはグレンギリーが、グラバーの故郷であるアバディーンに最も近い蒸留所ということで選ばれたのだという。
(上)日本とスコットランドの架け橋となったグラバー氏の功績を称して販売された「ザ・グラバー」。(下)スターリング近郊にあるロバート・ザ・ブルース像。バノックバーンの戦いに由来する「バノックバーン」というカクテルがあるが、これは有名な「ブラッディメアリー」のウオッカをスコッチウイスキーに替えて作る。 一覧ページに戻る