2021-02-24
スコッチ【0071夜】ジェームズ・マセソンとアビンジャラク~その①
ペリーとウイスキーのところ(0070)でジャーディン・マセソン商会の話がでたので、その創業者の一人であるジェームズ・マセソンについて。マセソンは北ハイランドのロス州の出身で、マセソンという姓はバルブレアやグレンモーレンジィのところでも出てくるので、おそらく同じ一族か、なんらかの関係があったのだろう。
ジャーディン・マセソン商会は1832年に広州で設立された世界最古の商社だが、同社が仕掛けたのが1840年に起きた有名なアヘン戦争で、これは清朝を揺るがす大事件となった。その直後の1842年にマセソンはすべての権利を共同パートナーだったウィリアム・ジャーディンに売り渡し、スコットランドにもどっている。そのマセソンが1844年に買ったのが、アウターヘブリディーズ諸島のルイス・ハリス島だった。
ルイス・ハリス島の面積は約2,200㎢。これは東京都とほぼ同じ大きさだが、人口は両島合わせても2万人くらいしかいない。ヘブリディーズとはヴァイキングの言葉で『地の果て』の意味で、文字どおり荒涼とした無人の大地がどこまでも続く。その島が売りに出されていたというのも信じられないが、それを20万ポンドで買ったマセソンもスゴイ。当時の20万ポンドは、どれくらいの金額かよく分からないが、少なくとも数十億円にはなるだろう。さらに島内の経済発展のために30万ポンドを追加で出したというから、いかにマセソンが巨万の富を築いていたかよく分かる(ジャーディン・マセソンの主要貿易品は、アヘンとお茶とそしてシルクだった)。
この時、マセソンが中心地のストーノウェイに建てたのがストーノウェイ城で、まさに昔の領主のように振舞った。さらにマセソンが島民に課したのが、ウイスキーの製造の禁止。当時ヘブリティーズの島では、どこの農家もウイスキーを造っていたが、それをマセソンは禁じたのだ。そのため人々は密造に走り、公認蒸留所は2008年にアビンジャラク蒸留所ができるまで、島には1軒も存在しなかったのだ。(0072につづく)
(上)ジャーディン・マセソン商会の創業者の一人、ジェームズ・マセソン。(下)マセソンが建てたストーノウェイ城。マセソンが巨万の富を築いた一方、当時「眠れる獅子」と恐れられていた清朝は、アヘン戦争での大敗以降、次々と西洋列強の侵出を許してしまうことになる。 一覧ページに戻る