2021-02-15
ジャパニーズ【0066夜】ペリーの黒船と日本初のウイスキー~その①
日本にウイスキーをもたらしたのは、1853年に日本にやってきたペリーの艦隊だったといわれる。ペリーは言わずと知れたアメリカの海軍提督で、日本の鎖国を終わらせ、開国を迫るために、わざわざアメリカから日本にやってきた。ちょうどNHKの大河ドラマ『青天を衝け』が始まったところだが、さっそく黒船が登場していた(ドラマで出てくるのは、もっと後のこと)。時は江戸後半、12代将軍・家慶の時代で、物語の中では老中の阿部正弘が登場しているが、この阿部がペリーとの応対にあたったのだ。
それはさておき、ペリーは特命全権大使として、1852年11月にアメリカ東海岸のノーフォーク軍港を、蒸気軍艦のミシシッピ号に乗って出航した。同船はペリー自身が建造の指揮をとった軍艦で、当時のアメリカ海軍の船は川の名前が付けられるのが慣習だった。ミシシッピは、もちろんアメリカ最長の川のことだ。ヴァージニア州にあるノーフォーク軍港は米海軍のベース基地で、今でも世界最大の軍港となっている。
ペリーは海軍一家に生まれた男で、父は独立戦争の時に活躍した軍人、母は北アイルランド・ベルファスト出身のスコッチアイリッシュである。テキサスの領有をめぐって争ったアメリカとメキシコの戦争で活躍し、当時すでに提督の地位に昇りつめていた。50歳を過ぎたペリーが、日本遠征を引き受けたのは、当時アメリカの捕鯨業がピークを迎えていて、1000隻を超える捕鯨船が日本近海に展開し、その補給や緊急避難のために、どうしても、日本に開国を迫る必要性があったからだ。
人生最後の大役(どこかで聞いたセリフだが)として引き受けたのは、捕鯨船の基地が、自身が生まれ育ったロードアイランド州だったということも見逃せないだろう。もちろんペリーは実務家らしい自信もあった。そのために1年近い準備を行い、最終的には数と力による外交戦術を用いることを決断していた。(0067につづく)