2021-01-25
スコッチ【0057夜】スコットランドの国民詩人~その①~
1月25日という日が何の日か、スコッチウイスキーファンで知らない人はいないと思う。そう、この日はスコットランドの“国民詩人”といわれるロバート・バーンズが生まれた日なのだ。
バーンズは南西スコットランドのエアシャーのアロウェイという寒村で、1759年1月25日に、貧しい小作農の倅として生まれている。亡くなったのは1796年7月で、わずか37年という生涯で、700近い詩を残し、それらは今もスコットランド中で、いや世界中で読みつがれているのだ。バーンズやバーンズの詩を知らない人でも、『蛍の光』は知っているだろう。メロディーはもともとスコットランド民謡だが、それに詩をつけたのがバーンズだった。
原詩は「オールド・ラング・ザイン」。遠き昔にという意味で、決して別れの歌ではなく、幼なじみの友が再会を果たした、その喜びを歌ったものだ。歌詩の最後に、互いの健康に感謝して、「この大杯の酒を飲みほそう」と出てくる。『蛍の光』は明治初期に日本に紹介され、小・中学の学童用に『蛍の光、窓の雪…』と、あたかも勉学に励むような歌詩に変えられたが、元の歌は再会を祝う乾杯の詩である。小・中学校の唱歌に、さすがに酒が出てくるのはまずい…そう判断されたのだろう。
バーンズはエアシャーの方言(古英語に近い)を用いて、当時のスコットランドの生活に根ざした詩を書いた。自身も小作農として苦労したこともあり、別名、農民詩人ともいわれる。当然、スコッチに関する詩も多く、『ウイスキーと自由は共に歩む(Whisky and freedom gang together)』は、有名なフレーズだ。エアシャーの土地の伝説に想いを得た、『シャンターのタム(Tam o’ shanter)』の中に出てくる魔女でマギーが着ていたのが、カティサークという短い下着で、これは後に快速帆船、ティークリッパーの名前となった。もちろん、これがブレンデッドスコッチ、カティサークのもとである。(0058につづく)
(上)ロバート・バーンズ像。(中)エアシャーにあるバーンズの生家は、バーンズ・コテージと呼ばれている。窓がないのは、当時は窓に対して課税がおこなわれていたからだ。(下)かやぶき屋根のコテージの中をのぞくと、当時のバーンズ家の質素な暮らしぶりがうかがえる。 一覧ページに戻る