2020-12-14
スコッチ【0037夜】イギリス最北の灯台と、その名を冠したウイスキー
イギリス最北端の灯台でひと冬熟成させたウイスキー―そんなキャッチコピーで売られたブレンデッドモルトがある。マックルフラッガ(Muckle Flugga)と名付けられたウイスキーで、ラベルには“オーバーウィンタード”と確かに書かれている。発売したのはシェットランドで蒸留所を建てると言っていたブラックウッド社の関連会社で、実体はよく分かっていない。シェットランド諸島はオークニーよりさらに北にある島で、その最北端、アンスト島の沖合の小さな岩礁に築かれたのが、マックルフラッガ灯台だ。
この灯台の建物内に後熟用の樽を持ちこんだということだったが、その後、その樽は行方不明となり、忘れたころに2000本限定でリリースされたのだ。私も1本手に入れて、ガロアの前の、『ウイスキーワールド』で、紹介したこともあるが、中身は悪くなかった。ブレンデッドモルトなので、どこの原酒か分からないが、少なくともブラックウッドのものではない。なぜならば、結局ブラックウッド蒸留所は、シェットランドには建てられなかったからだ。アイラ島のキルホーマンと同時期で、何度も蒸留所建設の話がでては、二転三転。結局キルホーマンと違って、いつの間にか話が消えてしまった。その幻の蒸留所のウイスキーがリリースされるということで、モルト通の間では、密かに話題になっていた。
ちなみにスコットランドの灯台技師として有名なのはエジンバラのスティーブンソン兄弟社で、ここがマックルフラッガも含めて、ほとんどのイギリスの灯台を手がけている。そのトーマス・スティーブンソンの息子が、『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』を書いた、ロバート・ルイス・スティーブンソンである。
実は明治政府が1868年に灯台建設のために雇い入れた技師が、スコットランド人のリチャード・ヘンリー・ブラントンで、彼が灯台建設のための技術指導を受けたのが、スティーブンソン兄弟社だった。つまりスティーブンソン家の指導を仰ぎながら、日本の30近い灯台を作ったことになる。もし息子であるロバートが作家にならず、父の後を継いで灯台技師になっていたら、ロバートが日本に来ることがあったかもしれないのだ。
これはブレンデッドモルトではなく、後にリリースされたシングルモルトのマックルフラッガ。スペイサイドモルトとあるが詳細は不明。日本のジャパンインポートシステムのためにボトリングされた1本。シェットランドで12ヵ月後熟と書かれているが、マックルフラッガ灯台ではないという。 一覧ページに戻る